コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

菊池秋雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
菊池秋雄 (園芸学者)から転送)

菊池 秋雄(きくち あきお、1883年1月28日 - 1951年4月5日)は、日本の園芸学者農学博士として園芸植物の遺伝的形質に注目した[注 1]京都大学名誉教授。専門は果樹園芸学 [3]青森県出身。

京都大学園芸学教室の初代[4]の教授で、新高梨や菊水梨など数多くのの交配[2]に関わった。「菊水」の「菊」は菊池の苗字からとられている[要出典]

経歴

[編集]

旧制第二高等学校を経て、1908年東京帝国大学農科大学農学科を卒業すると東京府立園芸学校教諭となり[5]、1916年に果樹研究所の前身にあたる神奈川県農事試験場長に転じる。1920年に退職、園芸学研究のため欧米に留学。1921年に鳥取農業高等学校に奉職[2]、教授を経て1926年から京都帝国大学の農学部にて教授となる。同学では中国東北部の農業指導にあたり、1924年(大正13年)8月19日-21日に大連市沙河口公学堂において講習[6]を行うほか南満州鉄道株式会社の農業指導書にも寄稿する[7]

同学農学部長(1927年)在職中に大典記念京都植物園園長を拝命し、教授職と兼任兼務(1929年–1949年)。1943年に定年を迎え同学を退官すると、植物園長のかたわら1944年から1945年まで京都府立高等農林学校初代校長を務める。

名誉職

[編集]

主な著作

[編集]

書籍

[編集]
  • 菊池秋雄『日本梨品種果皮ノ色及其遺伝ニ就テ 農学博士』([報告番号不明])東京帝国大学、1929年。 NAID 500000493130  博士論文
  • 菊池秋雄、関慎之助(述)『園芸講習録』、清水:中央園芸会、1933年。全国書誌番号:44022824doi:10.11501/1093149
  • 京都大学農学部園芸学研究室『園芸学研究集録』養賢堂、1934年2月–。  第1輯-第9揖。
  • 菊池楯衛『陸奥弘前後凋園主菊池楯衛遺稿』菊池秋雄(編)、菊池秋雄、1938年11月。 
  • 『北支果樹園芸』養賢堂、1944年。
  • 『果樹園芸学』、養賢堂
    • 上巻「果樹種類各論」、1948年。訂正第2版、1951年。
    • 下巻「果樹繁殖論 ; 果樹生態論」、1953年。
  • 『園藝通論』、養賢堂〈農学大系 園芸部門1〉 1950年。訂正第2版、1951年。

論文

[編集]

『園芸學會雜誌』、ISSN:0013-7626、一般社団法人園芸学会

『育種と農芸』タキイ種苗出版部

  • 「果樹の品種育成に就いて(2)-総論-」、第5巻第2号、1950年2月、1-3頁。NAID:4001748420。
  • 南瓜考〔1〕」、第5巻第11号、1950年11月。17-19頁。NAID:40017484172。
  • 「南瓜考-2-」、第5巻代12号、1950年12月。460-466頁。NAID:40017484202。

『新園芸』朝倉書店

  • 「剪定を簡易化せよ」第3巻第17号、1950年2月。17頁。NAID:40017914946。

親族

[編集]

⚫︎父:菊池楯衛[8](元津軽藩士族、青森りんごの始祖、弘前城桜の有志)

⚫︎妻:たけ (河北新報創業者一力健治郎の娘)

⚫︎義兄:水木千代吉 (青森県素封家、親戚は戸長水木忠助、姉あき夫)

⚫︎息子:菊池秀夫(三井鉱山常務、河北新報取締役、東海大学名誉教授)

⚫︎息子:菊池卓郎 (園芸学者、弘前大学名誉教授)

⚫︎孫:菊池誠物理学者

参考文献

[編集]
  • 大蔵省印刷局(編)(編)「敍任及辭令 / - / - / 菊池秋雄(東京府)」『官報』第7755号、日本マイクロ写真、1908年9月26日、578 (0013.jp2)、doi:10.11501/2950924 
  • 菊池秋雄(述)『果樹栽培指針』大連農会、1925年。 NCID BA75014893  1924年(大正13年)8月に大連市で行った講習記録。
  • 南満洲鉄道株式会社東京支社 編「果樹園芸の有畜化」『農業経営の有畜化』南満州鉄道株式会社、東京、1933年、1-10頁。doi:10.11501/1213357全国書誌番号:47015412  京都帝国大学教授 農学博士 菊池秋雄(国立国会図書館デジタルコレクション)

脚注

[編集]

[編集]
  1. ^ 1929年に東京帝国大学より農学博士号を受けた研究は『日本梨品種、果皮ノ色及其遺伝ニ就テ』[1]である。梨の遺伝的形質の研究には自著の先行論文[2]がある。

出典

[編集]

外部リンク

[編集]

関連項目

[編集]