菅谷 (上尾市)
菅谷 | |
---|---|
北緯35度59分29.19秒 東経139度35分36.99秒 / 北緯35.9914417度 東経139.5936083度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村 | 上尾市 |
地区 | 上平地区 |
面積 | |
• 合計 | 1.126[1] km2 |
人口 (2019年(平成31年)1月1日現在)[2] | |
• 合計 | 1,656人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
362-0003[3] |
市外局番 | 048(浦和MA)[4][5] |
ナンバープレート | 大宮 |
座標の場所は上尾球場を示す。 |
菅谷(すがや)は、埼玉県上尾市にある町名および大字。現行行政地名は菅谷一丁目〜六丁目、および大字菅谷。住居表示未実施地区[6]。郵便番号は362-0003[3]。
市の統計などでは上平地区で分類されている。
地理
[編集]埼玉県の中央地域(県央地域)で、上尾市北部の大宮台地上に位置され、地区を縦断するように芝川の支流が流れ、上尾久喜線が東西に通る。東側を須ケ谷と、南側を平塚や上尾村と隣接する。また、西側は南や西門前や上、北側を桶川市倉田や北足立郡伊奈町小針新宿と隣接する。大字菅谷は芝川の支流に沿って南北に細長い形をしている。また、地区のすぐ西側の上平北学童保育所付近に小さな大字菅谷の飛地が2ヶ所、上平北小学校の敷地の道路を挟んだすぐ南側にごく小さな大字菅谷の飛地が存在する。 地区内は全域が市街化調整区域[7]で農地が多いが、工場や住宅地のほか纏まった雑木林も見られる。
地価
[編集]住宅地の地価は、2018年(平成30年)の都道府県地価調査によれば、菅谷二丁目45番地の地点で2万4200円/m2となっている[8]。
歴史
[編集]もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡大谷領に属する菅谷村、古くは南北朝期より見出せる足立郡桶川郷のうちの菅谷村であった[9]。隣の須ケ谷村とともにもとは桶川郷のひとつの大きな村で、菅谷村や須ケ谷村に分村された説もある[10]。須ケ谷村の東谷に対し西谷とも呼ばれていたと云われていた[11]。飛地が南村と門前村の間に存在した[9]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では須ケ谷村として304石余(田128石余、畑176石余)と記されている[12][9]。また、『元禄郷帳』では278石余、『天保郷帳』では282石余であった[9]。化政期の戸数は68軒で、村の規模は東西12町、南北18町程であった[9][10]。南村のうちに飛地を領していた[10]。地名は須ケ谷村と同様に菅が自生する湿地によるものと云われている[9][11]。 1875年(明治8年)の農業産物高は『武蔵国郡村誌』によると米70石、大麦158石、小麦105石、甘藷39960貫であった[13][注釈 1]。
はじめは旗本西尾氏の知行[11][注釈 2]、1618年(元和4年)に西尾氏の移封により上知され幕府領となる。のちに一部で知行は旗本松平氏および田中氏の相給となる[9]。元禄年間(1688年〜1704年)より残りの幕府領分が旗本数原氏および木村氏の相給となるが、のちに木村氏知行分は上知され再び幕府領(代官支配地)となる時期を経たのち、1812年(文化9年)に旗本横田氏の知行地となる[9][11]。
- 幕末の時点では旗本松平氏、田中氏、数原氏、横田氏の4氏による相給[9][注釈 3]。
- 1868年(慶応4年)6月19日 - 武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。
- 1869年(明治2年)
- 1870年(明治3年) - 地内の東光寺(新義真言宗、観蔵院末)、弥勒寺(同)、長福院(本山派修験、下谷村大行院配下)が廃寺となる[14]。
- 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1872年(明治5年)3月 - 大区小区制施行により第19区に属す[15][16]。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。
- 1884年(明治17年)7月14日 - 連合戸長役場制により成立した上尾宿連合に属す。連合戸長役場は上尾宿に設置[17]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、菅谷村を含む区域をもって上平村が成立。菅谷村は上平村の大字菅谷となる[9]。
- 1948年(昭和23年)10月 - 上平村立上平小学校(現上尾市立上平小学校)の敷地内に所在した上平村立上平中学校(現上尾市立上平中学校)が、現在地である大字菅谷137番地に移転する[18]。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 町村合併促進法の施行に伴い、上平村が上尾町・平方町・原市町・大石村・大谷村と合併して、新たな上尾町となったことに伴い[19]、上尾町の大字となる。
- 1958年(昭和33年)7月15日 - 上尾町が市制施行され[19]、上尾市の大字となる。
- 1960年(昭和35年)9月1日 - 地内を通る県道が県道49号上尾久喜線(現県道87号上尾久喜線)に改称される[20]。
- 1987年(昭和62年)1月21日 - 大字菅谷、平塚、須ケ谷の各一部より菅谷一丁目〜六丁目が成立[21]。また、大字菅谷の一部が大字須ケ谷、および大字平塚の一部となる。
- 1994年(平成6年)4月1日 - 地内に上尾あゆみ会上平作業所が開所する[22][23]。
- 1998年(平成10年)4月 - 上平公園が造成され、暫定開園する[24]。5月1日に全面開園され、9月1日に上尾市民球場が開場する[25]。
- 2008年(平成20年)11月5日 - 「菅谷の祭りばやし」が市の上尾市登録文化財(無形民俗文化財)に指定される[26]。
- 2009年(平成21年)12月16日 - 「菅谷の大山灯籠行事」が市の上尾市登録文化財(無形民俗文化財)に指定される[27]。
存在していた小字
[編集]※登記簿上は今もなお存在する小字を含む。
世帯数と人口
[編集]2019年(平成31年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
大字・町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
大字菅谷 | 286世帯 | 676人 |
菅谷一丁目 | 86世帯 | 195人 |
菅谷二丁目 | 48世帯 | 123人 |
菅谷三丁目 | 91世帯 | 200人 |
菅谷四丁目 | 48世帯 | 112人 |
菅谷五丁目 | 64世帯 | 146人 |
菅谷六丁目 | 93世帯 | 204人 |
計 | 716世帯 | 1,656人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[29]。
大字・町丁 | 番地 | 小学校 | 中学校 | 備考 |
---|---|---|---|---|
大字菅谷 | 1〜330、332〜341、344、833〜852-1、852-3〜853、856-2〜921、1354〜1361 | 上尾市立上平小学校 | 上尾市立上平中学校 | 希望により上平北小も可(要 通学希望届提出) |
331、342〜343、345〜832、852-2、854〜856-1、922〜1353 | 上尾市立上平北小学校 | |||
菅谷一丁目 | 1〜82、88以降 | 上尾市立上平小学校 | 希望により上平北小も可(要 通学希望届提出) | |
83〜87 | 上尾市立上平北小学校 | |||
菅谷二丁目 | 全域 | |||
菅谷三丁目 | 全域 | |||
菅谷四丁目 | 全域 | |||
菅谷五丁目 | 全域 | |||
菅谷六丁目 | 全域 |
交通
[編集]地区内に鉄道は敷設されていない。最寄り駅はJR東日本高崎線北上尾駅だが、菅谷二丁目45番地の地点よりおよそ2.6 km[8]離れている。
道路
[編集]- 埼玉県道87号上尾久喜線(べにばな通り) - 埼玉県道323号上尾環状線と重複
バス
[編集]上尾駅から羽貫駅方面への路線バスが運行されている。以前は2010年2月11日から2012年4月1日まで、北上尾駅から伊奈学園までを結ぶけんちゃんバスも運行されていた。
- 朝日自動車菖蒲営業所[30]
- 地区内は「菅谷」、「出荷所前」バス停留所が設置されている。
- 上尾市コミュニティバス「ぐるっとくん」[31]
- 上平菅谷北上尾線
- 地区内は「上平公園北口」、「菅谷」、「出荷所前」、「菅谷四丁目」、「上組公民館」、「菅谷六丁目北」バス停留所が設置されている。
地域
[編集]町内会
[編集]祭事
[編集]寺社・史跡
[編集]施設
[編集]- 上平公園(総合公園) - 敷地のおよそ半分が立地する。指定緊急避難場所(地震・洪水・大規模な火事)に指定[35]。
- 上尾市民球場
- 上尾市立上平中学校 - 指定緊急避難場所(地震・洪水)、指定一般避難所に指定。
- 上尾市上平防犯連絡所 - 旧上尾警察署上平交番
- 上尾あゆみ会 上平作業所
- さつき保育園
- 上組公民館
- 下組公民館
- 新田公民館
- 北中地公民館
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “統計あげお 平成31年・令和元年版 第1章 土地・気象”. 上尾市役所. p. 2 (2020年6月1日). 2020年6月7日閲覧。
- ^ a b “町丁大字別人口表”. 上尾市役所 (2019年2月4日). 2019年3月18日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年3月18日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年3月18日閲覧。
- ^ “単位料金区域別市外局番等一覧表”. NTT東日本. 2020年6月7日閲覧。
- ^ “住居表示に関する届け出”. 上尾市役所 (2017年12月28日). 2019年3月18日閲覧。
- ^ 都市計画図がご覧になれます。 - 上尾市役所(2014年9月5日).2019年3月18日閲覧。
- ^ a b 国土交通省地価公示・都道府県地価調査.2019年3月18日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 498頁。
- ^ a b c 新編武蔵風土記稿 菅谷村.
- ^ a b c d e 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』 487-493頁。
- ^ 東京市『東京市史稿. 市街篇第六附錄』東京市、1928年、86-87頁 。
- ^ a b 『上尾百年史』 250-254頁。
- ^ 『上尾百年史』 610-615頁。
- ^ 『上尾百年史』 26-30頁。
- ^ 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』 117-123頁。
- ^ 『上尾百年史』 98-116頁。
- ^ “沿革”. 上尾市立上平中学校(上尾市教育委員会) (2012年8月23日). 2019年7月1日閲覧。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1421頁。
- ^ 『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』 557-558頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 増補5頁。
- ^ “上尾市のあゆみ - 統計あげお平成23年版” (PDF). 上尾市役所. pp. 135-144 (2012年3月). 2014年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月4日閲覧。
- ^ “上平作業所”. 全国社会就労センター協議会. 2007年11月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月4日閲覧。
- ^ “平成10年度当初予算の重点項目について”. 上尾市役所 (1998年). 1999年1月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月1日閲覧。
- ^ 広報広聴課 (2018年7月). “広報あげお 2018年7月号(No.1012)” (PDF). 上尾市役所. p. 6. 2019年7月1日閲覧。
- ^ a b “菅谷の祭りばやし”. 上尾市教育委員会 (2010年11月24日). 2019年3月18日閲覧。
- ^ a b “菅谷の大山灯籠行事”. 上尾市教育委員会 (2016年3月9日). 2020年6月7日閲覧。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1389頁。
- ^ “市内小・中学校通学区一覧”. 上尾市役所 (2018年4月1日). 2019年2月20日閲覧。
- ^ 菖蒲営業所管内路線図 (PDF) - 朝日自動車(平成29年7月31日).2019年3月18日閲覧。
- ^ ぐるっとくん 上尾市内循環バスROAD案内マップ (PDF) - 上尾市役所.2019年3月18日閲覧。
- ^ “自治会・町内会・区会に加入しましょう”. 上尾市役所 (2021年3月15日). 2022年5月18日閲覧。
- ^ 上平観光コース - あげおアッピーガイドの会. 2020年7月9日閲覧。
- ^ “(上尾歴史散歩)中世豪族の存在を示す古瀬戸灰釉草葉文瓶(西通1遺跡)”. 上尾市役所 (2014年10月3日). 2016年1月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月9日閲覧。
- ^ “指定緊急避難場所・指定避難所・福祉避難所”. 上尾市役所 (2022年2月14日). 2022年5月18日閲覧。
参考文献
[編集]- 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』上尾市役所、1998年3月31日。
- 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』上尾市役所、1997年3月31日、431-484頁。
- 上尾百年史編集委員会・編『上尾百年史』上尾市役所、1972年2月10日。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 「菅谷村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ147足立郡ノ13、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763999/56。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- あげおガイド アピマップ - 上尾市役所
- 上尾の古い地名を歩こう37 - 菅谷地区を縦断する(菅谷) - - 上尾市役所
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