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大谷村 (埼玉県北足立郡1955年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おおやむら
大谷村
廃止日 1955年1月1日
廃止理由 新設合併
上尾町、平方町原市町大石村上平村大谷村 → 上尾町
現在の自治体 上尾市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
北足立郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 7.06 km2.
総人口 3,593
(住民登録人口、1954年7月1日)
隣接自治体 大宮市、北足立郡上尾町、平方町、大石村、指扇村
大谷村役場
所在地 埼玉県北足立郡大谷村大字大谷本郷[1]
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大谷村(おおやむら)は、埼玉県北足立郡にあった。現在の上尾市南部にあたり、1955年に上尾町・原市町平方町上平村大石村と合併して上尾町となり消滅した。

地理

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隣接していた自治体

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(括弧内は現在の自治体)

歴史

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  • 1869年明治2年)
    • 1月 - 町域は廃藩置県により、大宮県に所属。
    • 9月 - 大宮県が浦和県に改称。
  • 1871年(明治4年)11月14日 - 浦和県が忍県岩槻県と合併し、埼玉県が誕生。
  • 1872年(明治5年)3月 - 大区小区制施行により第19区に属す[2]
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、大谷本郷村・地頭方村・壱丁目村・今泉村・向山村・堤崎村・中新井村・戸崎村・西宮下村・川村が合併し、大谷村となる[1]。大字大谷本郷に役場を設置。地名の由来は関係諸村において大谷本郷村が大きな村であったことや、かつてこの地に武蔵国大谷郷が存在したことに因む[3][1]
  • 1926年大正15年)9月4日 - 村内の大谷本郷南部および中新井で大旋風[注釈 1]が発生(詳細は大谷本郷#歴史を参照)[4][5]
  • 1934年昭和9年) - 大谷村民の要望により1933年(昭和8年)より起工された大谷本郷と堤崎を結ぶ幅員約6 mの道路(現在の埼玉県道165号大谷本郷さいたま線)が完成する。この道路は1941年(昭和16年)に県道に編入された[6]。なお、この県道は1960年(昭和35年)9月1日「県道65号向山浦和線」に改称されている[7]
  • 1943年(昭和18年)1月 - 上尾町の実行委員は大谷村ほか平方町・大石村に上尾町へ合併の交渉を行なったが[8]、結果は不調に終わった[9]
  • 1948年(昭和23年)
    • 2月5日 - 大宮地区警察署(自治体警察)平方巡査部長派出所の監督区域に指定される[10]
    • 4月28日 - 大谷村役場職員組合が結成される[11]
    • 5月22日 - 大谷農業協同組合が大谷本郷982の場所に設立される[12]
  • 1955年(昭和30年)1月1日 - 町村合併促進法の施行に伴い、上尾町・平方町・原市町・上平村・大石村と合併し、上尾町となる[13]。大谷村消滅。大字は上尾町へ継承された[1]。以降、旧大谷村に属した地域は大谷地区[注釈 2]と区分けされる。
  • 1958年(昭和33年)7月15日 - 上尾町が市制施行して上尾市となる[13]

歴代村長

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氏名 就任年月日 退任年月日 備考
初代村長 高橋大作 任期不明
二代村長 島田紋太郎 1889年(明治22年)8月14日 1893年(明治26年)8月13日
三代村長 島田紋太郎 1893年(明治26年)8月24日 1897年(明治30年)8月
四代村長 小川高藏 1897年(明治30年)8月19日 退任日不明
五代村長 吉沢与太郎 1898年(明治31年)5月21日 退任日不明
六代村長 高橋定之助 1901年(明治34年)11月21日 退任日不明
七代村長 新井滝三郎 1902年(明治35年)5月3日 1906年(明治39年)4月19日
八代村長 堀江万次郎 1906年(明治39年)5月11日 退任日明治43年5月10日と記される。
九代村長 吉田為次郎 1907年(明治40年)6月7日 1908年(明治41年)9月9日
十代村長 高橋和三郎 1908年(明治41年)9月18日 1909年(明治42年)10月25日
十一代村長 細田保次郎 1909年(明治42年)11月15日 1910年(明治43年)5月25日
十二代村長 細田保次郎 1910年(明治43年)5月25日 1913年(大正2年)5月20日
十三代村長 島田紋太郎 1917年(大正6年)8月30日 1921年(大正10年)2月8日
十四代村長 小川信一郎 1921年(大正10年)3月25日 1925年(大正14年)7月24日
十五代村長 島田周作 1925年(大正14年)8月8日 1930年(昭和5年)8月7日
十六代村長 榎本亀之丞 1930年(昭和5年)8月10日 1933年(昭和8年)2月28日
十七代村長 藤倉周助 1933年(昭和8年)3月1日 1937年(昭和12年)2月28日
十八代村長 島田道教 1937年(昭和12年)3月13日 1941年(昭和16年)3月12日
十九代村長 須賀高三郎 1941年(昭和16年)3月25日 1941年(昭和16年)12月11日
二十代村長 藤倉弥平 1942年(昭和17年)1月8日 1946年(昭和21年)3月11日
二十一代村長 野原喜太郎 1946年(昭和21年)5月21日 1946年(昭和21年)8月19日
二十二代村長 田中佐重郎 1947年(昭和22年)4月5日 第1回統一地方選挙による選出。任期は、1951年(昭和26年)4月4日まで。途中退任であるが退任日不明。
二十三代村長 新井茂一 1948年(昭和23年)2月25日 前任者の退任による選挙であれば任期は、1952年(昭和27年)2月24日までとなるはず。
二十四代村長 新井茂一 1952年(昭和27年)2月17日 1954年(昭和29年)12月31日 2月17日は、選挙の日か?再選された任期は2月25日からのはずである。

※ 以上出典は『上尾百年史』176-177頁および187頁。

脚注

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注釈

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  1. ^ 北東方向へ線状に連なる被害状況やその規模から竜巻と思われる。
  2. ^ 後年の住居表示や市域の境界変更などもあって、従前の大谷村とは完全に一致するものではない。

出典

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参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104 
  • 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』上尾市、1998年3月31日。 
  • 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第七巻 通史編(下)』上尾市、2001年3月30日。 
  • 上尾百年史編集委員会・編『上尾百年史』上尾市役所、1972年2月10日。 

関連項目

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