茶路駅
表示
茶路駅 | |
---|---|
ちゃろ Charo | |
◄共栄仮乗降場 (2.3 km) (7.5 km) 縫別► | |
所在地 | 北海道白糠郡白糠町茶路基線 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 白糠線 |
キロ程 | 11.8 km(白糠起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1964年(昭和39年)10月7日[1] |
廃止年月日 | 1983年(昭和58年)10月23日[1] |
備考 | 白糠線廃線に伴い廃駅 |
茶路駅(ちゃろえき)は、北海道白糠郡白糠町茶路基線にかつて設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)白糠線の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲111904[2]。
歴史
[編集]年表
[編集]- 1964年(昭和39年)10月7日:日本国有鉄道白糠線白糠駅 - 上茶路駅間開通に伴い、開業[3]。旅客のみ取り扱い[1]の無人駅[4]。
- 1983年(昭和58年)10月23日:白糠線の全線廃止に伴い、廃駅となる[1]。
駅名の由来
[編集]→「茶路川 § 川名の由来」も参照
所在した地名より。アイヌ語で「口(その口)」を意味する「チャロ(caro)」に由来するとされる[5][6]。足寄アイヌが浜に下るときに越えた交通路であり、山田秀三は大切な交通路の川の口なので、こう呼ばれていたのではないかとしている[5]。
駅構造
[編集]廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する地上駅であった。ホームは、線路の西側(北進方面に向かって左手側)に存在した。開業時からの無人駅で駅舎は無かったが、ホーム南側の出入口附近に待合室を有した[7]。
利用状況
[編集]乗車人員の推移は以下の通り。年間の値のみ判明している年度は日数割で算出した参考値を括弧書きで示す。出典が「乗降人員」となっているものについては1/2とした値を括弧書きで乗車人員の欄に示し、備考欄で元の値を示す。
年度 | 乗車人員(人) | 出典 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | |||
1978年(昭和53年) | 25 | [8] | ||
1981年(昭和56年) | (10.5) | [7] | 乗降客数は21人 |
駅周辺
[編集]駅跡
[編集]2001年(平成13年)時点では既にホームは埋没し、当駅の遺構は不明になってしまっていたが、駅跡付近の桜の木は残っていた[9]。2010年(平成22年)時点でも同様であった[10]。また、2011年(平成23年)時点で枕木が残っていた[11]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、895頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、238頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ 「日本国有鉄道公示第460号」『官報』1964年9月30日。
- ^ 「通報 ●白糠線白糠・上茶路間の開業について(営業局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1964年9月30日、13面。
- ^ a b “アイヌ語地名リスト セッ~ツキガ P71-80”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2019年11月3日閲覧。
- ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、151頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ a b c d 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)141ページより。
- ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、884頁。doi:10.11501/12065814 。
- ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVII』(JTBパブリッシング、2001年1月発行)48ページより。
- ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)70ページより。
- ^ 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社、2011年9月発行)148-149ページより。