茶川一郎
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ちゃがわ いちろう 茶川 一郎 | |
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本名 | 藤田 昌宏(ふじた まさひろ) |
生年月日 | 1927年3月3日 |
没年月日 | 2000年11月9日(73歳没) |
出生地 |
日本 東京市浅草区 (現・東京都台東区浅草) |
死没地 | 日本 大阪府大阪市中央区 |
職業 | コメディアン、お笑い芸人、俳優 |
ジャンル | 舞台、テレビドラマ、映画 |
活動期間 | 1946年 - 2000年 |
配偶者 | あり |
主な作品 | |
『やりくりアパート』 『番頭はんと丁稚どん』 『どてらい男』 『桃太郎侍』 |
茶川 一郎(ちゃがわ いちろう、1927年3月3日 - 2000年11月9日)は、日本のコメディアン、お笑い芸人、俳優。
来歴・人物
[編集]東京市浅草区(現・東京都台東区浅草)出身。本名:藤田昌宏(ふじた まさひろ)。神田一ツ橋尋常高等小学校卒業後、日本建鉄技能者養成所〔1944年〕卒[1]。1945年に浅草軽演劇で人気のあった木戸新太郎に弟子入り。翌1946年にキドシン一座のメンバーとして初舞台。1954年にストリップ劇場「新宿フランス座」に出演。
1955年からは大阪に拠点を移し、南街ミュージックホール、北野劇場、梅田コマなどの東宝系の舞台に出演。1958年のテレビ・コメディ「やりくりアパート」など、花登筺作品で人気を博すが、花登が1959年に「劇団・笑いの王国」を旗揚げし、東宝から独立した際には佐々十郎らと共に東宝に残留し、花登と袂を分かつ。以後、主に大阪を中心にテレビや舞台で活躍していた。
女形や女性的なキャラクターを得意とし、大映『悪名』シリーズの、軽妙な演技が印象的な、オカマの「おぎん」役は、まさにはまり役であった。
2000年11月9日午前3時35分、肝細胞癌のため国立大阪病院で死去。73歳没。
出演作品
[編集]テレビ
[編集]- やりくりアパート(ABC)
- てなもんや三度笠(ABC)
- ごろんぼ波止場(ABC)
- 番頭はんと丁稚どん(MBS)
- 一心茶助(関西テレビ)
- 素浪人 月影兵庫(NET)
- 第1シリーズ 第2話「風は知っていた」(1965年) - 仙吉役
- 第2シリーズ 第102話「大口たたいて抜けていた」(1968年) - 目玉の浪人役
- てんてこ漫遊記(1966年、MBS) - 松平竹千代役
- 銭形平次(フジテレビ・東映京都)
- 第137話「三日だけの子守歌」(1968年)
- 第329話「大井川の拾い子」(1972年)
- 第420話「浪速男の江戸の夢」(1974年)
- 必殺シリーズ(ABC・松竹京都)
- どてらい男(関西テレビ)
- 狼・無頼控 第10話「吼えろ!大砲」(1973年、MBS・大映テレビ・映像京都)
- 非情のライセンス(1975年、NET)
- 第2シリーズ 第49話「兇悪の射殺命令」 - 加西芳郎
- 第2シリーズ 第59話「兇悪の三億円」 - 茶山
- 事件ファイル110 甘ったれるな 第9話「春遠い19歳の夢」(1976年、TBS・松竹)
- 櫻守(NHK)
- 水戸黄門(TBS・C.A.L)
- 桃太郎侍(日本テレビ・東映京都) - 熊造役
- 爆笑!ナンチャッテ横丁(MBS)
- 鮎のうた(NHK) - 吉田役
- 鬼平犯科帳・萬屋錦之介版
- 文吾捕物帳 第11話「慕情の女」(1981年、テレビ朝日・三船プロ)
- 地獄の左門十手無頼帖 与力妻殺人事件の背景と暗殺の謎(1982年、フジテレビ・東映京都) - 与兵衛役
- 新・女捜査官 第5話「バラバラ殺人の鍵は変身美女?」(1983年、ABC・テレパック)
映画
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
- やりくりアパート(1959年、宝塚映画)
- サザエさんとエプロンおばさん(1960年、東宝)
- 悪名シリーズ(1962年〜、大映)
- 雲の上団五郎一座(1962年、東宝)
- てなもんや三度笠(1963年、東映京都)
- 色ごと師春団治(1965年、東映京都)
- 温泉あんま芸者(1968年、東映京都)
- 西のペテン師東のサギ師(1971年、東宝)
舞台
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関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- “訃報・茶川一郎さん”. 日刊スポーツ. (2000年11月10日). オリジナルの2001年1月19日時点におけるアーカイブ。
- “茶川一郎さん死去”. スポニチ. (2000年11月9日). オリジナルの2000年12月2日時点におけるアーカイブ。
- 茶川一郎 - 日本映画データベース