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英一珪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

英 一珪(はなぶさ いっけい、延享4年(1747年)? - 天保14年11月21日1844年1月10日))は江戸時代英派絵師

来歴

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高嵩谷の門人。英氏。名は信重。英一川の子あるいは養子といわれる。初め崇卿と号し、後に一珪、有松庵、友松庵と号した。高崇谷の命により英家を再興し、寛政期から活躍、軽妙なタッチの扇面画を残している。文化の頃には神田の於玉ケ池に住んでいたが、天保頃には本所柳島に移り住んだ。一時は、歌川国貞が入門したことでも知られている。墓所は芝の二本榎承教寺中顕乗院。法名は英寿院一珪日仙。享年については85歳、92歳、あるいは96歳ともいわれ諸説あるが、辞世の狂歌では「百まではなんでもないとおもひしに 九十六ではあまり早死」と詠っており、96歳説が有力である[1]。没日も12月21日ともされる。

作品

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作品名 技法 形状・員数 寸法(縦x横cm) 所有者 年代 落款 備考
高砂に丹頂と瑞亀 紙本着色 扇面3本 太田記念美術館
七福影面之図跡 紙本着色 扇面 太田記念美術館
不動明王 紙本着色 1幅 174.8x87.5 石上寺(亀山市 款記「応需 英一珪謹筆」/印文不明朱文方印[2]
地獄極楽図[3] 絹本着色 1幅 99.4x37.4 石川県七尾美術館(池田コレクション) 歌川国貞との合作。
箍掛臼目切図 1幅 岡田美術館 1827年(文政10年) 款記「八十翁 応需 英一珪書画」 同名の英一蝶作品の模写[1]
八刀毘沙門天[4] 絹本着色 1幅 大英博物館 1828年(文政11年) 款記「近江國守山驛東門院安置 行年八十一翁 英一珪信重謹丹青」
乗合舟図[5] 絹本着色 1幅 45.2x70.9 ボストン美術館 1832年(天保2年) 款記「八十五齢 英一珪信重筆」
Long-tailed tortoise with symbols of longevity on its back[6] 紙本着色 1幅 37x44 大英博物館 1837年(天保7年) 款記「高齢九十○ 英一珪筆」

脚注

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参考文献

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  • 太田記念美術館編 『鴻池コレクション扇絵図録Ⅰ 浮世絵編』 太田記念美術館、1981年 
  • 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』第2巻 大修館書店、1982年