若宮八幡社 (名古屋市中区)
若宮八幡社 | |
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若宮八幡社拝殿 (2020年(令和2年)2月) | |
所在地 | 愛知県名古屋市中区栄3丁目35-30 |
位置 | 北緯35度9分48.5秒 東経136度54分12.4秒 / 北緯35.163472度 東経136.903444度 |
主祭神 |
仁徳天皇 応神天皇 武内宿禰命 |
社格等 | 旧県社、別表神社 |
創建 | 不明 |
本殿の様式 | 流造 |
別名 | 若宮八幡宮 |
例祭 | 5月16日 |
主な神事 | 若宮まつり(5月15・16日) |
若宮八幡社(わかみやはちまんしゃ)は、愛知県名古屋市中区栄にある神社。
概要
[編集]旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。名古屋総鎮守とされる。名古屋市街を東西に貫く100m道路である「若宮大通」の名は、この若宮八幡社から採っている。「若宮八幡宮」とも呼ばれる。
歴史
[編集]天武天皇の時代、もしくは大宝年間(701年 - 704年)に那古野庄今市場(現・名古屋城三の丸)に創建されたと伝わり、延喜年間(901年 - 923年)に再興されたという。かつては天王社(那古野神社)に隣接していた。
天文元年(1532年)3月11日、織田信秀が那古野城を攻めた時の合戦で社殿を焼失したが、天文8年(1539年)にその織田信秀により再建された。
慶長15年(1610年)、徳川家康によって名古屋城が築城された際に現在地に遷座する。
江戸時代は尾張徳川家の氏神となり、名古屋の総鎮守となって崇敬され、寛文4年(1664年)に尾張藩第2代藩主徳川光友によって社殿の造営が行われた。この時、当社の社僧は全て廃されている。元禄2年(1689年)1月には光友より社領100石が寄せられた。
太平洋戦争中の1945年(昭和20年)3月19日、名古屋大空襲により社殿が焼失するが、1957年(昭和32年)復興する。1971年(昭和46年)7月1日に神社本庁の別表神社に加列されている。
祭神
[編集]境内
[編集]- 本殿
- 拝殿
- 若宮恵美須神社
- 合殿社[1] - 熊野社、日吉社、香良洲社、天神社、秋葉社
- 神御衣神社(御衣社、みころもさん) - 愛知県立田村(現在の愛西市)から合祀[2]。
- 産宮住吉神社
- 連理稲荷神社
- 連理稲荷神社奥之院
- 福禄寿車収蔵庫
- 若宮龍神社
- 社務所
- 若宮の社 迎賓館
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かつての若宮八幡社(『尾張名所図会. 前編 巻1 愛智郡』より「若宮八幡宮」)
文化財
[編集]名古屋市指定有形民俗文化財
[編集]- 若宮祭りの山車行事と福禄寿車(若宮八幡社福禄寿車山車保存会)
祭祀
[編集]1月 | 1日 | 歳旦祭(奉賛会祈願祭) |
2月 | 8日 | 神御衣社祭(針供養まつり) |
17日 | 祈年祭 | |
旧初午の日 | 連理稲荷社祭(旧初午まつり) | |
5月 | 15日 | 試楽祭 |
16日 | 例祭・御神幸(若宮まつり) | |
7月 | 25日 | 末社合同祭(夏まつり) |
9月 | 15日 | 長寿祭 |
10月 | 20日 | 恵美須社祭(恵美須まつり) |
11月 | 1日 | 龍神社祭 |
23日 | 新嘗祭 |
例祭
[編集]江戸時代では、例祭である若宮祭は名古屋東照宮の東照宮祭、天王社(那古野神社)の天王祭とならんで名古屋三大祭とされ、特に天王祭とは同日であったことから祇園祭と総称された(現在は別の日)。山車7両が神輿と共に名古屋城三の丸の天王社との間を往復し、名古屋城下の目抜き通りであった現在の本町通を練り歩いた。
現在の若宮まつりでは、今も残る山車1両(福禄寿車)と神輿が、那古野神社との間を往復する。福禄寿車は名古屋市指定有形民俗文化財となっている[3]。
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境内の山車蔵にある福禄寿車
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若宮祭の様子(『尾張名所図会. 前編 巻1 愛智郡』より「若宮祭」)
交通
[編集]参考文献
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ [1]
- ^ 神御衣社祭(針供養まつり)
- ^ “市指定文化財”. 名古屋市 (2012年10月19日). 2013年5月26日閲覧。
- ^ プリンセスコミックス『縛り屋小町』4巻(秋田書店刊)口絵ページコメントより
外部リンク
[編集]- 名古屋総鎮守 若宮八幡社(公式ホームページ)
- 若宮日記(公式ブログ)
- ウィキメディア・コモンズには、若宮八幡社 (名古屋市中区)に関するカテゴリがあります。