花長上神社
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花長上神社 | |
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所在地 | 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲名礼1211 |
位置 | 北緯35度31分33.9秒 東経136度35分40.7秒 / 北緯35.526083度 東経136.594639度座標: 北緯35度31分33.9秒 東経136度35分40.7秒 / 北緯35.526083度 東経136.594639度 |
主祭神 | 天甕津日女命 ほか |
社格等 | 式内小社、郷社 |
例祭 | 9月7日(隔年) |
地図 |
花長上神社(はなながかみじんじゃ)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町(旧谷汲村)にある神社である。
概略
[編集]- 創祀時期は不明。江戸時代は七社明神と称していた。
- 同じ旧谷汲村内にある花長下神社とは密接な関係がある。花長下神社の祭神の赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命(あかふすまいぬおおすみひこさわきのみこと)と花長上神社の祭神の天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)は、『出雲国風土記』に記述がある出雲神話の神であり、花長下神社が男神、花長上神社が女神という(夫婦神の説もある)。また、9月7日の祭礼は、花長下神社と花長上神社が交互に行なっている。花長下神社と花長上神社との距離は約3km。
阿豆良神社との関係
[編集]愛知県一宮市にある阿豆良神社(尾張国丹羽郡式内社の阿豆良神社)とは密接な関係がある。祭神は同じ天甕津日女命(天甕津媛命)であり、阿豆良神社には以下の社伝がある。
- 垂仁天皇の皇子品津別皇子は、7歳になっても言葉が話せなかったという。皇后の夢の中に天甕津媛命が現れ、「今まで私を誰も祀ってくれない。祠を立て神に祭るなら、皇子は言葉を話せるようになり、天寿を全うするだろう。」ということを伝えたという。垂仁天皇は部下の建岡君に、天甕津媛命を探し出すように命じた。
- 建岡君は美濃国花鹿山(花長上神社は花鹿山の麓にある)に登り、榊の枝で縵(あずら)を作って神に祈り、「此の縵の落ちた所が神を祭る所であろう。」と言うと、縵を遠く投げたという。この縵が落ちた地に創建されたのが阿豆良神社という。
祭神
[編集]花鹿山自体が御神体という説もある。
所在地
[編集]- 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲名礼1211