花山院長雅
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時代 | 鎌倉時代中期 |
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生誕 | 嘉禎元年(1235年)または嘉禎2年(1236年)[1] |
死没 | 弘安10年12月16日(1288年1月20日) |
別名 | 鷹司長雅 |
官位 | 正二位、大納言 |
主君 | 後嵯峨天皇→後深草天皇→亀山天皇→後宇多天皇→伏見天皇 |
氏族 | 花山院家 |
父母 | 父:花山院定雅、母:二条定高の娘 |
兄弟 | 通雅、長雅、定教、浄雅、女子 |
妻 | 清水谷按子 |
子 | 花山院定長、花山院家雅、花山院家定室 |
花山院 長雅(かさんのいん ながまさ)は、鎌倉時代中期の公卿。鷹司長雅とも。右大臣・花山院定雅の子。官位は正二位・大納言。
経歴
[編集]以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
- 建長6年(1254年)12月25日、参議に任ぜられる。この時、正四位下右中将。
- 建長7年(1255年)1月5日、従三位に叙される。
- 正嘉元年(1257年)1月26日、正三位に昇叙。
- 正元元年(1259年)9月28日、権中納言に任ぜられる。
- 文応元年(1260年)3月29日、従二位に昇叙。
- 弘長3年(1263年)1月6日、正二位に昇叙。
- 文永元年(1264年)10月29日、母の喪に服す。
- 文永5年(1265年)12月2日、権大納言に任ぜられる[2]。
- 建治2年(1276年)3月29日、前太政大臣である兄・通雅が薨去。
- 弘安6年(1283年)1月には白馬内弁を勤める。2月26日、権大納言を辞した。
- 弘安7年(1284年)5月6日、大納言に還任。
- 弘安8年(1285年)3月6日、大納言を辞したが同月10日には本座を許される。
- 弘安10年(1287年)12月16日、薨去。享年52、又は53とも。
系譜
[編集]父:花山院定雅