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船井神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
船井神社
(舩井神社)

本殿
所在地 京都府南丹市八木町船枝才ノ上51
位置 北緯35度6分17.22秒 東経135度31分20.51秒 / 北緯35.1047833度 東経135.5223639度 / 35.1047833; 135.5223639 (船井神社)座標: 北緯35度6分17.22秒 東経135度31分20.51秒 / 北緯35.1047833度 東経135.5223639度 / 35.1047833; 135.5223639 (船井神社)
主祭神 住吉三神
春日四神
社格 式内社(小)
郷社
創建 (伝)神功皇后年間
別名 鹿野森明神・春日大明神
例祭 10月21日近くの日曜日
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鳥居

船井神社(ふないじんじゃ、公称:舩井神社)は、京都府南丹市八木町船枝にある神社式内社で、旧社格郷社。神紋は「橘」。

祭神

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祭神は次の7柱。

歴史

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創建

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神功皇后三韓征伐を行なった際、住吉明神に祈ると船が現れて征伐も成功した。このことによりこの地に住吉明神を祀る神社として創建されたという。

また神社の北西500メートルほどの地に「瀛居の杜(おこのもり、太古の森)」と呼ばれる塚があるが、もとはその地に前身の住吉神社が鎮座していたといい、慶雲2年(705年)の大堰川の氾濫により現在地の鹿野森(かやもり)[1]に移されたという。

「船井(舩井)」の社名・郡名は、当地が大堰川(桂川)の船の停泊地(船居)であったことに由来するといわれる。

概史

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延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では丹波国船井郡に「船井神社」と記載され、式内社に列している。

社伝では、仁和3年(880年)には大地震により社殿が崩壊して安和2年(970年)に再建されたとし、保安元年(1120年)には丹波国司であった藤原家保により春日神勧請され合祀されたとする。

江戸時代は「鹿野森明神」や「春日大明神」と称され[2]、神社の灯籠にも「春日神」と刻まれている。

本殿は天保3年(1832年)に焼失し、天保6年(1835年)に再建された。

明治維新後、明治6年(1873年)に近代社格制度において郷社に列した。

境内

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社殿のうち、本殿は天保6年(1835年)、拝殿は寛政6年(1794年)の造営。拝殿内奥右上の金網に覆われた馬の絵馬は、左甚五郎の作と伝える。昔、毎夜絵馬から馬が抜け出て水を飲みに行ったが、馬の首につけていた鈴がうるさいことから金網が張られたという。

また境内には「腕守(かいなもり)」と称される五輪塔があり、安倍貞任の腕を祀るという。亀岡盆地周辺では、他にも貞任にまつわる塚・地名が多く残っている(「安倍貞任#墳墓」参照)。

摂末社

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主な祭事

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現地情報

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所在地

交通アクセス

周辺

脚注

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  1. ^ のちに鹿で著名な春日神を合祀したことから、春日の「鹿の森」すなわち「鹿野森」の地名が生じたと考えられている(『京都府の地名』船井神社項)。
  2. ^ 『京都府の地名』船井神社項。

参考文献

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外部リンク

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