臼井哲夫
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臼井 哲夫(うすい てつお、1863年3月18日(文久3年1月29日[1])- 1935年(昭和10年)6月29日[2])は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]肥前国高来郡島原村(現:長崎県島原市)で、臼井三平の長男として生まれる[1][3]。島原学校、松風義塾、小叩塾などを経て慶應義塾で学ぶ[2][3]。
1880年、同志と共に西海日報社を創立し、翌年まで同紙の記者を務めた[2][3]。1888年、日本輸出米商社事務長に就任[3]。以後、総武鉄道庶務課長、近江鉄道取締役、磯湊鉄道取締役、上野鉄道社長、吾妻川電力社長などを歴任した[2]。
1883年、長崎県会議員に当選[2][3]。1898年8月、第6回衆議院議員総選挙において長崎県第三区から出馬し当選[2]。その後、第8回、第9回、第10回総選挙でも当選[2]。1909年、日本製糖汚職事件で検挙され、同年4月28日、衆議院議員を辞職[4]。同年7月3日に、東京地方裁判所第二刑事部において重禁固10ヶ月の有罪の判決が言い渡された[5]。その後、判決を不服として控訴したが、同年8月10日に、東京控訴院第一部で控訴棄却の判決が言い渡され、臼井は上告せず有罪が確定した[6]。これにより勲四等を褫奪された[7]。1915年3月、第12回総選挙に出馬して当選し議員に復帰[2]。その後、第13回、第14回総選挙でも当選し、衆議院議員を通算7期務めた[2]。
栄典
[編集]著作
[編集]- 『世界の変局と日本の政治』東京堂、1918年。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056
- 山崎謙編『衆議院議員列伝』衆議院議員列伝発行所、1901年。
- 人事興信所編『人事興信録』第10版 上、1934年。
- 雨宮昭一「日糖事件 - 汚職事件と検察権の拡大」『日本政治裁判史録 明治・後』第一法規出版、1969年。