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自由と公正党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 エジプト政党
自由と公正党(自由公正党)
حزب الحرية والعدالة
党首 ムハンマド・サアド・カタートニー
副党首 イサーム・エル=エリヤーン
成立年月日 2011年4月30日
(公式には6月6日)
解散年月日 2014年8月9日
解散理由 最高裁判所による違憲判決
本部所在地 カイロローダ島
人民議会議席数
0 / 508   (0%)
(2014年)
シューラー(諮問)議会議席数
0 / 270   (0%)
(2014年)
政治的思想・立場 イスラーム主義
イスラーム民主主義
機関紙 自由と公正
国際組織 ムスリム同胞団
公式サイト حزب الحرية والعدالة
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自由と公正党または自由公正党(じゆう[と]こうせいとう、アラビア語: حزب الحرية والعدالة‎、英語: Freedom and Justice Party)は、エジプトにかつて存在した政党。本部はカイロローダ島に置かれていた。党首はムハンマド・サアド・カタートニー、副党首は、イサーム・エル=エリヤーン。幹事長はフセイン・イブラヒーム。2011年のエジプトにおける革命ホスニー・ムバーラク政権が倒れた直後の2月21日ムスリム同胞団が結成を発表した[1]が、正式に発足したのは同年6月6日[2]である。

2014年8月9日、最高裁判所によって非合法化され、全議席を喪失した。

近年の動向

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2011年から2012年1月にかけて行われた人民議会(下院)選挙で、第一党となった(公選498議席中235議席[3]、うち比例代表枠127議席[4])。また2012年1月から2月にかけて行われたシューラー議会(上院)選挙では公選180議席(全体では270議席)中105議席を獲得した[5]

2012年3月31日、エジプト大統領選挙に同胞団幹部のハイラト・シャーテルを擁立することを発表した[6]が、失格となったため、党首のムハンマド・ムルシーを立てて大統領選を戦うことになった。ムルシーは第1回目の投票で24.77%の票を獲得し1位となり[7]、決選投票で勝利。これに伴い、ムルシーは同胞団、党役職から全て退いた[8]

2012年8月に発足したヒシャーム・カンディール内閣には自由公正党から4人が入閣した[9]

2012年10月19日、ムハンマド・ムルシーの大統領就任後空位となっていた党首の選挙が行われ、元人民議会議長のムハンマド・サアド・エル=カタートニーが864票中581票を獲得し党首に選出された[10]

2013年1月、カンディール内閣の改造が行われ、自由公正党の閣僚は全閣僚35人のうち8人となった。

2013年エジプトクーデターでムルシー政権が倒されると、党首のムハンマド・サアド・カタートニーなどの自由公正党幹部が拘束された[11][12]

2014年8月9日、最高裁判所が自由公正党の解散と資産没収の判決を下した[13]

党の性質

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人民議会において獲得した235議席には、自由公正党を中心とする政党連合エジプト民主連合英語版」でともに戦ったナセル主義英語版尊厳党(カラーマ党)、世俗系のアイマン・ヌール英語版率いる革命の明日党英語版などの議席も含まれて居るほか、選挙期間中には、同胞団より遙かに厳格なサラフィー主義の候補に対してコプト教徒を支持した事もあった[14]。日本メディアなどではムスリム同胞団系であることをもって「イスラム原理主義」と表現されるケースが見受けられるが、これらの事実からも分かるように、実際には極めて柔軟でプラグマティックな面をもつ政党である。

なお、一般的にアジアや米欧の主要英語メディアにおいて、同党や同胞団が”ファンダメンタリスト”(原理主義者)と表現されることは殆どない。

関連項目

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脚注

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  1. ^ “ムスリム同胞団、政党結成を発表-エジプト”. (2011年2月22日). http://www.worldtimes.co.jp/news/world/kiji/110222-213748.html 2011年2月22日閲覧。 
  2. ^ حزب الحرية والعدالة”. الجزيرة نت. 2012年1月22日閲覧。
  3. ^ エジプト選挙:イスラム系政党が7割 第1党は自由公正党”. 毎日新聞. 2012年1月22日閲覧。
  4. ^ “Islamists win 70% of Egypt People's Assembly party list seats”. Ahramonline. (2012年1月22日). http://english.ahram.org.eg/News/32287.aspx 2012年1月22日閲覧。 
  5. ^ “Islamists dominate Egypt's upper house after vote”. France24. (2012年2月25日). http://www.france24.com/en/20120225-islamists-dominate-egypts-upper-house-after-vote 2012年2月27日閲覧。 
  6. ^ エジプト大統領選、イスラム組織が幹部擁立 選挙の軸に”. 朝日新聞. 2012年4月1日閲覧。
  7. ^ “エジプト大統領選、モルシ氏とシャフィク氏が決選投票に”. AFPBB News (フランス通信社). (2012年5月29日). https://www.afpbb.com/articles/-/2880715?pid=9018952 2012年5月29日閲覧。 
  8. ^ “「全エジプト人の大統領に」 モルシ氏 イスラエル和平維持”. 東京新聞. (2012年6月25日). http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2012062502000205.html 2012年6月26日閲覧。 
  9. ^ مصر: حكومة هشام قنديل”. الفترة الانتقالية. 2012年8月25日閲覧。
  10. ^ “BREAKING: Egypt's El-Katatni becomes new head of Muslim Brotherhood's FJP”. Ahramonline. (2012年10月19日). http://english.ahram.org.eg/News/56019.aspx 2012年10月20日閲覧。 
  11. ^ “Egypt arrests leading Brotherhood members, including El-Katatni”. Ahramonline. (2013年7月4日). http://english.ahram.org.eg/News/75649.aspx 2014年8月19日閲覧。 
  12. ^ “FJP deputy leader Essam El-Erian arrested”. Daily News Egypt. (2013年10月30日). http://www.dailynewsegypt.com/2013/10/30/fjp-deputy-leader-essam-el-erian-arrested-2/ 2014年8月19日閲覧。 
  13. ^ “エジプト、同胞団政党に解散命令 裁判所が最終決定”. 産経新聞. (2014年8月9日). https://web.archive.org/web/20140810120814/http://sankei.jp.msn.com/world/news/140809/mds14080922550014-n1.htm 2014年8月19日閲覧。 
  14. ^ “Brotherhood endorses Coptic candidate over Salafi one, Salafis enraged”. Al-Masry Al-Youm. (2012年1月2日). http://www.egyptindependent.com/news/brotherhood-endorses-coptic-candidate-over-salafi-one-salafis-enraged 2012年1月31日閲覧。 

外部リンク

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