能勢靖一
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能勢 靖一(のせ せいいち、1861年8月6日(文久元年7月1日[1]) - 没年不明[2])は、明治から大正時代の台湾総督府官僚。南投庁長。台東庁長。霧島神宮宮司。
経歴
[編集]能勢輯造の長男としてのちの鹿児島県に生まれ、1881年(明治14年)6月、家督を相続する[1]。台湾総督府に奉職し、台北庁警視[3]、南投庁長などを経て[4]、台東庁長に就任した[1]。大正11年(1922年)5月12日、霧島神宮宮司となった[5][6]。昭和7年(1932年)、同社を退職[2]。
脚注
[編集]- ^ a b c 人事興信所 1915, の22頁.
- ^ a b 神社新報社 編『神道人名辞典』神社新報社、1986年、233頁。
- ^ 『官報』第7034号「叙任及辞令」明治39年12月8日。
- ^ 『官報』第7155号「叙任及辞令」明治40年5月9日。
- ^ 『官報』2932号、1922年5月13日。
- ^ 『北海道帝国大学附属水産専門部教授鎌倉義善外百二十八名叙位ノ件○官幣大社霧島神宮宮司能勢靖一外五名、朝鮮総督府忠清南道参与官南官営外五十六名、会計検査院書記小林恵祐、営林署属興津外機男外五名、裁判所書記中村伊兵衛外四名、鞍山中学校教諭熊沢信二』 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、昭和2年12月15日。
参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。