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羽根谷だんだん公園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
羽根谷だんだん公園
さぼう遊学館屋上の展望台からの羽根谷だんだん公園
桜並木と竜のモニュメントがある
分類 砂防環境整備事業
所在地
座標 北緯35度12分57.6秒 東経136度35分40.3秒 / 北緯35.216000度 東経136.594528度 / 35.216000; 136.594528
設備・遊具 公園内の主な施設を参照
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羽根谷だんだん公園(はねだにだんだんこうえん)は、岐阜県海津市(旧海津郡南濃町)にある公園

1980年(昭和55年)から整備が始められ、1994年(平成6年)に完成する。

養老山地扇状地である羽根谷[1](同名の川もある)の砂防堰堤を中心とした公園である。岐阜県選定の「飛騨・美濃さくら三十三選」に選ばれているの名所となっている。

公園内の主な施設

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土石流、岐阜県の砂防の展示。土石流実験装置、映像学習室がある。羽根谷だんだん公園の中心施設[2]
  • 巨石積み堰堤
羽根谷で現在も現役の堰堤。巨石を積み上げられて造られた明治時代の堰堤。
  • 土石流の広場
雲仙岳桜島で実際に土石流で流された巨石を展示。
  • モニュメント
羽根谷の上流にある「白竜神社」にちなみ、をモチーフにしたモニュメント。製作者はドイツ人造形作家の「クラウス・カンマーリヒス」。尚、シンボルキャラクターの「イヌリュウ」は、南濃町(当時)の小学生のデザインである。
  • バーベキュー広場(4月~10月)[3]

羽根谷の砂防と公園の歴史

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羽根谷は昔から土石流の多発地帯であり、古くから砂防工事が行なわれていた。主な工事は以下のとおりである。

  • 1704年宝永元年 - 幕府の命により、羽根谷の川底の砂の除去、周辺民家の移動が行なわれた。
  • 1754年宝暦4年 - 宝暦治水の一環として薩摩藩により、羽根谷に砂留堤、石堤、川底の砂の除去が行なわれた。
  • 1766年明和3年) - 砂留堤の修理。
  • 1717年享保2年) - 川底の砂を除去。これ以降、羽根谷は、定州浚え(定期的に川底をさらえる工事)を行なう場所となる。
  • 1815年文化12年) - 川底の砂を除去。護岸工事。
  • 1856年安政3年) - 大垣藩により、羽根谷の位置をずらした。
  • 1887年明治20年) - 内務省により「木曽・長良・揖斐三大河水利分流計画」が着手される。オランダの技術者ヨハニス・デ・レーケがその工事に先立ち、羽根谷の調査を行なう。羽根谷の巨石積み堰堤はこの年に着工され、翌年完成する。
  • 1994年平成6年) - 羽根谷だんだん公園が完成。
  • 1997年(平成9年)9月3日 - 羽根谷砂防堰堤(第一堰堤)が、国の登録有形文化財(建造物)として登録された[4]
  • 2003年(平成15年)4月15日 - 羽根谷だんだん公園が岐阜県により、「飛騨・美濃さくら三十三選」に選定された。

所在地

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  • 岐阜県海津市南濃町奥条[1]

交通アクセス

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脚注

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  1. ^ a b 地図閲覧サービス・羽根谷”. 国土地理院. 2011年11月29日閲覧。
  2. ^ さぼう遊学館”. 岐阜県. 2011年11月29日閲覧。
  3. ^ 岐阜県さぼう遊学館”. 岐阜県 (2023年4月3日). 2024年5月19日閲覧。
  4. ^ 羽根谷砂防堰堤(第一堰堤)”. 国指定文化財等データベース. 2011年11月29日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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羽根谷だんだん公園 (海津市)