羽根谷だんだん公園
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羽根谷だんだん公園 | |
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さぼう遊学館屋上の展望台からの羽根谷だんだん公園 桜並木と竜のモニュメントがある | |
分類 | 砂防環境整備事業 |
所在地 | |
座標 | 北緯35度12分57.6秒 東経136度35分40.3秒 / 北緯35.216000度 東経136.594528度 |
設備・遊具 | 公園内の主な施設を参照 |
羽根谷だんだん公園(はねだにだんだんこうえん)は、岐阜県海津市(旧海津郡南濃町)にある公園。
1980年(昭和55年)から整備が始められ、1994年(平成6年)に完成する。
養老山地の扇状地である羽根谷[1](同名の川もある)の砂防用堰堤を中心とした公園である。岐阜県選定の「飛騨・美濃さくら三十三選」に選ばれている桜の名所となっている。
公園内の主な施設
[編集]- 巨石積み堰堤
- 羽根谷で現在も現役の堰堤。巨石を積み上げられて造られた明治時代の堰堤。
- 土石流の広場
- モニュメント
- 羽根谷の上流にある「白竜神社」にちなみ、竜をモチーフにしたモニュメント。製作者はドイツ人造形作家の「クラウス・カンマーリヒス」。尚、シンボルキャラクターの「イヌリュウ」は、南濃町(当時)の小学生のデザインである。
- バーベキュー広場(4月~10月)[3]
羽根谷の砂防と公園の歴史
[編集]羽根谷は昔から土石流の多発地帯であり、古くから砂防工事が行なわれていた。主な工事は以下のとおりである。
- 1704年(宝永元年 - 幕府の命により、羽根谷の川底の砂の除去、周辺民家の移動が行なわれた。
- 1754年(宝暦4年 - 宝暦治水の一環として薩摩藩により、羽根谷に砂留堤、石堤、川底の砂の除去が行なわれた。
- 1766年(明和3年) - 砂留堤の修理。
- 1717年(享保2年) - 川底の砂を除去。これ以降、羽根谷は、定州浚え(定期的に川底をさらえる工事)を行なう場所となる。
- 1815年(文化12年) - 川底の砂を除去。護岸工事。
- 1856年(安政3年) - 大垣藩により、羽根谷の位置をずらした。
- 1887年(明治20年) - 内務省により「木曽・長良・揖斐三大河水利分流計画」が着手される。オランダの技術者ヨハニス・デ・レーケがその工事に先立ち、羽根谷の調査を行なう。羽根谷の巨石積み堰堤はこの年に着工され、翌年完成する。
- 1994年(平成6年) - 羽根谷だんだん公園が完成。
- 1997年(平成9年)9月3日 - 羽根谷砂防堰堤(第一堰堤)が、国の登録有形文化財(建造物)として登録された[4]。
- 2003年(平成15年)4月15日 - 羽根谷だんだん公園が岐阜県により、「飛騨・美濃さくら三十三選」に選定された。
所在地
[編集]- 岐阜県海津市南濃町奥条[1]
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]羽根谷だんだん公園 (海津市)