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美学校

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美学校
美學校
設立 1969年
種類 私塾
法人番号 4010002046169 ウィキデータを編集
所在地 〒101-0051
東京都千代田区神田神保町2-20 第二富士ビル3階
座標 北緯35度41分50秒 東経139度45分20秒 / 北緯35.69722度 東経139.75556度 / 35.69722; 139.75556座標: 北緯35度41分50秒 東経139度45分20秒 / 北緯35.69722度 東経139.75556度 / 35.69722; 139.75556
ウェブサイト 美学校
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美学校(びがっこう、美學校)は、東京都千代田区神田神保町にある私塾[1]で、美術音楽、メディア表現の教室である。学校法人ではなく会社法人組織として運営されている。1969年2月現代思潮社(出版社)の石井恭二川仁宏らによって創立された。ロゴデザインは赤瀬川原平[2]

入学試験・資格はないが、学校法人でないため卒業しても得られる資格はない。講師には芸術分野の著名人が多く、講義内容は各講師が学生の意見を聞きながら決め、自由闊達な学びの場として知られる。一方で経営は苦しく、2019年までに倒産の危機が3回あるなど曲折を経ている[1]

岡山市に岡山校がある[3]。なお、「映画美学校」とは無関係である。

沿革

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  • 1969年 - 現代思潮社(出版社)の石井恭二、川仁宏らによって東京都新宿区若葉町に創立。
  • 1970年 - 教場を千代田区神田神保町に移転。
  • 1973年 - 松澤宥長野県に美学校・諏訪分校を開講する(1981年閉校)。
  • 1975年 - 現代思潮社より独立。田中力が代表責任者となる。
  • 1979年 - 夜間教程を10月から6カ月間で開催。
  • 1980年 - 描写研究室を除き、全ての教程を夜間の開講にする。
  • 1981年 - 代表責任者の田中力が辞任し、今泉省彦を代表として新発足、昼間・夜間教程を併設。
  • 1983年 - 卒業生が中心となってアートイベント・アートランス「ギグメンタ83」を開催。
  • 2000年 - 代表今泉省彦が辞任し、藤川公三を代表として新発足。
  • 2003年 - 有限会社美学校として再組織。特定非営利活動法人「芸術環境支援機構の会(AESS)」を設立。
  • 2006年 - 「美学校ギグメンタ2006」を開催。
  • 2012年 - スタディスト・岸野雄一をコーディネーターとして音楽コース(2013年度より音楽学科、2014年度に解体・合併)を新設。
  • 2013年 - イギリスサウサンプトン大学付属美術館John Hansard Galleryで開催された展覧会「Anti-Academy」にて、1960年代に存在したオルタナティブなアートスクール三校のうちの一校として紹介される。[4]

講師

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創立以来の講師陣には、中西夏之加納光於赤瀬川原平松沢宥中村宏菊畑茂久馬小畠廣志などの美術家のほか、木村恒久(グラフィックデザイナー)、笠井叡(舞踊家)、鈴木清順(映画監督)、木村威夫(映画美術監督)、小杉武久(音楽家)、松山俊太郎(インド哲学)、澁澤龍彦(作家・評論家)、唐十郎(舞台俳優・演出家)など多彩な人物が教壇に立った。

2000年に藤川公三が代表に就任して以降は、絵画、版画、写真といったオーソドックスな美術講座を開催する一方、現代美術やメディア表現(マンガ、フィギュア、ファッション、演劇、デザインなど)の講座も開催。小沢剛会田誠松蔭浩之宇治野宗輝藤浩志内海信彦伊東篤宏小倉正史三田村光土里OJUN中ザワヒデキ、間島秀徳、Chim↑Pomリーダー卯城竜太福住廉久住昌之佐藤直樹都築潤小田島等JINMO濱田謙一らが講座を担当した。

2012年から始まった音楽コース(2013年度より音楽学科、2014年度に解体・合併)では、菊地成孔大谷能生横川理彦、numb、岸野雄一らを講師として楽理、作曲からデスクトップミュージック(DTM)、レコーディングなどの講座を開催した。

卒業生

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2019年までに約4000人が巣立った。後に代表を務めた藤川公三は第一期生である[1]

赤瀬川原平が、創設以来長年にわたって講義をした「絵・文字工房」は、赤瀬川のその折々の興味の対象を講義する人気の教室で、平口広美南伸坊渡辺和博泉昌之泉晴紀/久住昌之)、森伸之上原ゼンジまどの一哉井上則人など、多くの人物を輩出した。

その他にも、平出隆林英哲村上龍佐野史郎浜津守末井昭石橋春海佐藤直樹田村治芳久住卓也浅生ハルミン長谷川貴子コマツソウルカッターらも出身者。

脚注

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  1. ^ a b c 藤川公三「教育しない 美学校の美学◇型破り美術の私塾、古書店街の雑居ビルで半世紀◇」日本経済新聞』朝刊2019年10月29日(文化面)2019年11月3日閲覧
  2. ^ 『タイポグラフィ02』(日本タイポグラフィ協会/1979)p48
  3. ^ 美学校 岡山校(2019年11月3日閲覧)
  4. ^ John Hansard Gallery - Event Detail2014年7月16日閲覧

外部リンク

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