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繁沢就真

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
繁沢就真
時代 江戸時代前期
生誕 慶長7年(1602年
死没 明暦2年7月24日1656年9月12日
改名 繁沢権三郎(幼名)→繁沢就真
別名 平左衛門(通称
戒名 智覚宗本
主君 毛利秀就
長州藩
氏族 繁沢家
父母 父:繁沢元氏、母:不詳
兄弟 長山御たや三浦元忠正室)、毛利元景
女(宮庄伊賀守室)、元貞、女(草刈就継室)、
百合之助木原就重、女(飯田就重室)、
女(内藤就正室)、就真、女(井原元栄室)、
女(早世)
就忠
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繁沢 就真(はんざわ なりざね)は、江戸時代前期の長州藩士。父は吉川元春の次男・繁沢元氏

生涯

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慶長7年(1602年)、繁沢元氏の三男として生まれる。元和6年(1620年5月8日毛利秀就加冠により元服し、「就」の偏諱を与えられて就真と名乗った。寛永9年(1632年)には、「平左衛門尉」の官途名を与えられる。

父・元氏の隠居料200石の地を相続し、明暦2年(1656年7月24日に55歳で死去した。後を子の就忠が継いだ。

参考文献

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  • 萩藩閥閲録』巻77「繁澤平左衛門」
  • 防長新聞社山口支社編 編『近世防長諸家系図綜覧』三坂圭治監修、防長新聞社、1966年3月。 NCID BN07835639OCLC 703821998全国書誌番号:73004060 国立国会図書館デジタルコレクション