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維山周嘉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
維山 周嘉
時代 室町時代中期 - 後期
生誕 文明7年(1475年
死没 不詳
幕府 室町幕府
氏族 足利氏足利将軍家
父母 父:足利義視、母:不詳
兄弟 足利義稙維山周嘉了玄義忠水野義純?[1]祝渓聖寿[2]
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維山 周嘉(いざん しゅうか)は、室町時代中期から後期にかけての臨済宗僧侶室町幕府の第10代将軍足利義稙の異母弟[3]

生涯

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文明7年(1475年)、室町幕府の第8代将軍・足利義政の弟である足利義視の子として誕生[3]。母は不詳[3]

延徳2年(1490年)7月、慈照寺に入寺し、維山周嘉と称した[3]。これは、同年正月に伯父の義政が死去した際、自身の死後に東山山荘を寺として、義視の子息の一人を入寺させるように遺言していたことによる[3]

明応2年(1493年)4月20日、周嘉は相国寺において得度したが、その直後に明応の政変が起き、兄・義稙細川政元らによって失脚した[3]

明応8年(1499年)11月、北陸から上洛しようとした義稙が、近江坂本において大敗した際、周嘉は兄に従って共に京都から離れたと『慈照寺諸記』には記されており、この頃までは生存していたことが伺える[4]

脚注

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  1. ^ 系図纂要』による
  2. ^ 山田 2016, p. 181.
  3. ^ a b c d e f 山田 2016, p. 179.
  4. ^ 山田 2016, pp. 179–180.

参考文献

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関連項目

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