維山周嘉
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時代 | 室町時代中期 - 後期 |
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生誕 | 文明7年(1475年) |
死没 | 不詳 |
幕府 | 室町幕府 |
氏族 | 足利氏(足利将軍家) |
父母 | 父:足利義視、母:不詳 |
兄弟 | 足利義稙、維山周嘉、了玄 、義忠、水野義純?[1]、祝渓聖寿[2] |
維山 周嘉(いざん しゅうか)は、室町時代中期から後期にかけての臨済宗の僧侶。室町幕府の第10代将軍・足利義稙の異母弟[3]。
生涯
[編集]文明7年(1475年)、室町幕府の第8代将軍・足利義政の弟である足利義視の子として誕生[3]。母は不詳[3]。
延徳2年(1490年)7月、慈照寺に入寺し、維山周嘉と称した[3]。これは、同年正月に伯父の義政が死去した際、自身の死後に東山山荘を寺として、義視の子息の一人を入寺させるように遺言していたことによる[3]。
明応2年(1493年)4月20日、周嘉は相国寺において得度したが、その直後に明応の政変が起き、兄・義稙が細川政元らによって失脚した[3]。
明応8年(1499年)11月、北陸から上洛しようとした義稙が、近江坂本において大敗した際、周嘉は兄に従って共に京都から離れたと『慈照寺諸記』には記されており、この頃までは生存していたことが伺える[4]。