コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

細野哲雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
細野 哲雄
人物情報
生誕 (1913-09-18) 1913年9月18日
日本の旗 日本新潟県北蒲原郡乙村大字荒井浜(現・胎内市荒井浜)
死没 (1995-05-06) 1995年5月6日(81歳没)
日本の旗 日本長野県長野市
脳腫瘍
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京帝国大学文学部
両親 父:細野亀平
学問
研究分野 中世文学
研究機関 信州大学
清泉女学院短期大学
主要な作品 #著書
主な受賞歴 勲三等旭日中綬章
テンプレートを表示

細野 哲雄(ほその てつお、1913年大正2年)9月18日 - 1995年平成7年)5月6日)は、日本国文学者信州大学名誉教授。

略歴

[編集]

新潟県北蒲原郡乙村大字荒井浜(現・胎内市荒井浜)出身[1]

1931年昭和6年)3月に新潟中学校を卒業、1937年(昭和12年)3月に山形高等学校を卒業[注 1]、4月に東京帝国大学文学部国史学科に入学、1938年(昭和13年)4月に東京帝国大学文学部国文学科に入学、1941年(昭和16年)3月に卒業[2]

1942年(昭和17年)1月に長野県師範学校教諭に就任、1943年(昭和18年)4月に長野師範学校助教授に就任、1950年(昭和25年)4月に信州大学助教授に就任、1967年(昭和42年)8月に信州大学教育学部教授に就任[3]

1979年(昭和54年)4月に信州大学を定年退官、信州大学名誉教授の称号を受称[4]清泉女学院短期大学教授に就任[5]

1995年平成7年)5月6日午後2時30分に長野市の自宅で脳腫瘍のため死去[6]

業績

[編集]

方丈記』と老荘思想の関係を初めて論じた[7]

栄典

[編集]

家族・親戚

[編集]

著書

[編集]

校註書

[編集]

論文

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 1934年昭和9年)4月に山形高等学校に入学。
  2. ^ 市島成一の祖父の金市市島家3代目当主・市島権之丞の弟の勝之助が会津八一の祖父の葛塚市島家2代目当主・市島助次郎である[13]

出典

[編集]
  1. ^ 言語生活』第176号、52頁。『蒲原』第6号、11頁。
  2. ^ 方丈記』奥付。『鴨長明伝の周辺・方丈記』奥付。
  3. ^ 信州大学教育学部同窓会報』第10号、3面。『信州大学教育学部三十年誌』372頁。
  4. ^ 現代 物故者事典 1994〜1996』502頁。『新潟県 人物・人材情報リスト 2021 第1巻』438頁。
  5. ^ 国語・国文学者名簿総覧』149頁。『全国短大・高専職員録 昭和57年版』847頁。
  6. ^ 新潟日報』1995年5月8日付朝刊、23面。
  7. ^ 中世文学』第51号、23頁。『言葉と文化』第9号、33頁。
  8. ^ 「叙位・叙勲」『官報』特別号外第17号、1頁、大蔵省印刷局、1986年11月5日。
  9. ^ 「醬油釀造家」『やまと錦
  10. ^ 新潟縣大地主所蔵資料 第二集 市島家文書』21頁。
  11. ^ 蒲原』第74号、13頁。
  12. ^ a b 市島家分家略系図 (PDF) - 市島分家の人々 - 市島邸資料館リニューアルオープン展示 - 新発田市
  13. ^ 新潟縣大地主所蔵資料 第二集 市島家文書』19・21頁。『蒲原』詩歌碑特輯号、8頁。

参考文献

[編集]

関連文献

[編集]
  • 「芭蕉と乙寺 『おくのほそ道』遺聞」『蒲原』第41号、35-39頁、細野哲雄[著]、継志会、1976年。
  • 「鴎外と漱石との日記」『蒲原』第43号、18-23頁、細野哲雄[著]、継志会、1977年。
  • 「誕生日」『蒲原』第50号、39-42頁、細野哲雄[著]、継志会、1979年。
  • 「「渋柿会」の記」『蒲原』第66号、42-45頁、細野哲雄[著]、継志会、1984年。
  • 「『頌春の歌』の詩人」『蒲原』第76号、18-22頁、細野哲雄[著]、継志会、1989年。
  • 青山渋柿会 (PDF) 」『青山同窓会報』第32号、3面、近藤圓[著]、青山同窓会、1981年。
  • 通行手形持参の老師あり (PDF) 」『青山同窓会報』第34号、6面、近藤圓[著]、青山同窓会、1982年。