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細川玖琅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

細川 玖琅[1](ほそかわ くろう、1882年明治15年)11月25日[2] - 没年不明)は、日本実業家政治家。朝鮮企業社長[3][4]。富士見銀行頭取[3][4]。長野県諏訪郡富士見村[5][6]。族籍は長野県士族[2][3]

人物

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長野県士族・細川直行の長男[3]1901年東京高等師範学校附属中学校を卒業[7]1908年第二高等学校第二部農科を卒業[8]1911年家督を相続し[3]、同年東京帝国大学農科大学獣医学科を卒業する[3][4]

銀行会社の重役で、推されて長野県会議員である[3]。長野県参事会員に挙げられる[4]神職、富士見村長、富士見村農会長である[9]。住所は長野県諏訪郡富士見村字若宮[2](現・富士見町)。

家族・親族

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細川家
  • 父・直行[1]1859年 - 1911年、長野士族、富士見倉庫社長、富士見銀行頭取、長野県会議員、富士見村長)
  • 母・るい1860年 - ?、長野、小川忠作の姉)[3]
  • 妹・かつへ1886年 - ?、夫は細川鳥角の二男鋭)[3]
  • 妻・たつ1894年 - ?、長野、小川金治の二女)[3][10]
  • 息子、娘[3]
親戚

脚注

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  1. ^ a b 『大日本紳士名鑑』長野県諏訪郡20頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月12日閲覧。
  2. ^ a b c 『信濃人事興信録』64頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月12日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第9版』ホ13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月12日閲覧。
  4. ^ a b c d 『帝国大学出身名鑑』ホ10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月14日閲覧。
  5. ^ 『諏訪郡歴代町村長名簿』長野県95 - 96頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月12日閲覧。
  6. ^ 『市町村治績録 改訂第2版』長野県22頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月12日閲覧。
  7. ^ 『東京高等師範学校附属中学校一覧 自大正9年4月 至大正10年3月』第二十四 卒業生及び其近況83頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月12日閲覧。
  8. ^ 『第二高等学校一覧 自昭和6至7年 附録 卒業生氏名』卒業生氏名 明治四十一年48頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月12日閲覧。
  9. ^ 『満洲開拓民選出に関する調査 第2輯』10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月12日閲覧。
  10. ^ a b 『大衆人事録 第3版』オ5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月6日閲覧。

参考文献

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  • 竹内伊四郎編『大日本紳士名鑑』明治出版社、1916年。
  • 東京高等師範学校附属中学校編『東京高等師範学校附属中学校一覧 自大正9年4月 至大正10年3月』東京高等師範学校附属中学校、1920 - 1925年。
  • 三沢啓一郎編『信濃人事興信録』信濃人事興信録発行所、1922年。
  • 第二高等学校編『第二高等学校一覧 自昭和6至7年 附録 卒業生氏名』第二高等学校、1927 - 1936年。
  • 日本自治協会編『市町村治績録 改訂第2版』日本自治協会、1930年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
  • 校外調査会編『帝国大学出身名鑑』校外調査会、1932年。
  • 諏訪郡元長会編『諏訪郡歴代町村長名簿』諏訪郡元長会年、1937年。
  • 帝国農会編『満洲開拓民選出に関する調査 第2輯』帝国農会、1942年。