細川玖琅
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細川 玖琅[1](ほそかわ くろう、1882年(明治15年)11月25日[2] - 没年不明)は、日本の実業家、政治家。朝鮮企業社長[3][4]。富士見銀行頭取[3][4]。長野県諏訪郡富士見村長[5][6]。族籍は長野県士族[2][3]。
人物
[編集]長野県士族・細川直行の長男[3]。1901年、東京高等師範学校附属中学校を卒業[7]。1908年、第二高等学校第二部農科を卒業[8]。1911年、家督を相続し[3]、同年東京帝国大学農科大学獣医学科を卒業する[3][4]。
銀行会社の重役で、推されて長野県会議員である[3]。長野県参事会員に挙げられる[4]。神職、富士見村長、富士見村農会長である[9]。住所は長野県諏訪郡富士見村字若宮[2](現・富士見町)。
家族・親族
[編集]- 細川家
- 父・直行[1](1859年 - 1911年、長野士族、富士見倉庫社長、富士見銀行頭取、長野県会議員、富士見村長)
- 母・るい(1860年 - ?、長野、小川忠作の姉)[3]
- 妹・かつへ(1886年 - ?、夫は細川鳥角の二男鋭)[3]
- 妻・たつ(1894年 - ?、長野、小川金治の二女)[3][10]
- 息子、娘[3]
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b 『大日本紳士名鑑』長野県諏訪郡20頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月12日閲覧。
- ^ a b c 『信濃人事興信録』64頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第9版』ホ13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月12日閲覧。
- ^ a b c d 『帝国大学出身名鑑』ホ10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月14日閲覧。
- ^ 『諏訪郡歴代町村長名簿』長野県95 - 96頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月12日閲覧。
- ^ 『市町村治績録 改訂第2版』長野県22頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月12日閲覧。
- ^ 『東京高等師範学校附属中学校一覧 自大正9年4月 至大正10年3月』第二十四 卒業生及び其近況83頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月12日閲覧。
- ^ 『第二高等学校一覧 自昭和6至7年 附録 卒業生氏名』卒業生氏名 明治四十一年48頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月12日閲覧。
- ^ 『満洲開拓民選出に関する調査 第2輯』10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月12日閲覧。
- ^ a b 『大衆人事録 第3版』オ5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月6日閲覧。
参考文献
[編集]- 竹内伊四郎編『大日本紳士名鑑』明治出版社、1916年。
- 東京高等師範学校附属中学校編『東京高等師範学校附属中学校一覧 自大正9年4月 至大正10年3月』東京高等師範学校附属中学校、1920 - 1925年。
- 三沢啓一郎編『信濃人事興信録』信濃人事興信録発行所、1922年。
- 第二高等学校編『第二高等学校一覧 自昭和6至7年 附録 卒業生氏名』第二高等学校、1927 - 1936年。
- 日本自治協会編『市町村治績録 改訂第2版』日本自治協会、1930年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 校外調査会編『帝国大学出身名鑑』校外調査会、1932年。
- 諏訪郡元長会編『諏訪郡歴代町村長名簿』諏訪郡元長会年、1937年。
- 帝国農会編『満洲開拓民選出に関する調査 第2輯』帝国農会、1942年。