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小川金治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小川 金治(おがわ きんじ、慶応3年(1867年1月 - 没年不明)は日本実業家。達摩山(株)取締、富士見銀行専務、朝鮮企業取締[1]長野県平民[2]

信濃国諏訪郡御射山神戸村(現・富士見町)に生まれる。明治10年(1877年分家して一家を創立す[2]

父は呉服商人小川金蔵。弟は司法大臣鉄道大臣等を歴任した小川平吉。息子は富士機工取締役小川一郎、医学博士・慶応堂病院長小川三郎など。

家族

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  • 妻・まち(長野県、矢島重蔵の二女[2]
  • 長男・一郎(元富士機工 取締役) 
  • 長女・えい(長野県、細川鳥角の長男で郷土史研究家隼人の妻)
  • 二男・三郎(元慶応堂病院 院長)
  • 二女・たつ(長野県士族・細川直行の長男・玖琅に嫁す[2]
  • 三男・四郎
  • 三女・あき(長野県、中山秀樹に嫁す[2]
  • 四男・五郎
  • 四女・まつ
  • 五女・はな

文献

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  • 猪野三郎監修『第十二版 大衆人事録』(昭和13年)長野二頁

関連項目

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脚注

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  1. ^ 猪野三郎監修『第十二版 大衆人事録』(昭和13年)長野二頁
  2. ^ a b c d e 『人事興信録. 7版』(大正14年)を一一