細川満之
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時代 | 南北朝時代 - 室町時代前期 |
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生誕 | 正平7年/文和元年(1352年)? |
死没 | 応永12年12月15日(1406年1月5日) |
幕府 | 室町幕府 伊勢・備中守護 |
主君 | 足利義満 |
氏族 | 細川備中守護家 |
父母 | 父:細川頼春 |
兄弟 | 頼之、詮春、頼有、頼元、満之 |
子 | 頼重、満久、基之 |
細川 満之(ほそかわ みつゆき)は、南北朝時代から室町時代前期にかけての武将・守護大名。伊勢国・備中国守護。細川備中守護家初代当主。
略歴
[編集]細川頼春の子として誕生。
生年は享年から逆算すると正平7年/文和元年(1352年)であり、元服時に3代将軍(正平22年/貞治6年(1367年)から就任)の足利義満から偏諱(「満」の字)を受けていることから考慮しても矛盾はない。尚、1352年という年は父の頼春が討死した年でもある(従って生誕月日によっては頼春の死後に生まれた可能性もある)。
義満の将軍就任の前年に兄・頼之が管領に任じられて幕政に携わるようになると、頼有らと共に領国である四国の経営を任される。元中9年/明徳3年(1392年)頃に備中守護代として備中に入部した。翌明徳4年(1393年)には備中守護となり、以後満之の家系が守護職を世襲したことで、後に備中守護家と称される。