築城基地
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(築城飛行場から転送)
築城飛行場 Tsuiki airfield | |||||||
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IATA: なし - ICAO: RJFZ | |||||||
概要 | |||||||
国・地域 | 日本 | ||||||
所在地 | 福岡県築上郡築上町 | ||||||
種類 | 軍用 | ||||||
所有者 | 防衛省 | ||||||
運営者 | 航空自衛隊 | ||||||
開設 | 1942年 | ||||||
所在部隊 | 第8航空団 | ||||||
標高 | 17 m (55 ft) | ||||||
座標 | 北緯33度41分06秒 東経131度02分25秒 / 北緯33.68500度 東経131.04028度 | ||||||
地図 | |||||||
空港の位置 | |||||||
滑走路 | |||||||
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空港の一覧 |
築城基地(ついききち、JASDF Tsuiki Airbase)は、福岡県築上郡築上町大字西八田に所在する、第8航空団等が配置されている航空自衛隊の基地である。築城飛行場とも呼ぶ。基地の敷地は行橋市大字松原、京都郡みやこ町呰見(あざみ)の1市2町にまたがっているが、正式な住所は築上町大字西八田となっている。滑走路は西南西から東北東に向かって延び、一部が瀬戸内海西端の周防灘に約300m突き出している。南端を日豊本線、北端を音無川が走る。 並行して旧滑走路が現存している。これとは別に、高射隊・施設隊が1.5km程離れた京都郡みやこ町に豊津地区を設置している。
基地司令は、第8航空団司令が兼務する。また2008年3月から、北九州空港と山口宇部空港の管制業務の大半を請け負っている。また、小月航空基地のターミナル管制業務を担当する。
在日米軍の再編に伴う、アメリカ軍普天間基地の「有事展開拠点機能」の移設先の一つであり、滑走路を普天間基地と同じ2,700mにすることが計画されている[1]。
沿革
[編集]- 1942年(昭和17年)10月1日 - 大日本帝国海軍が藤田組の協力を得て建設。大日本帝国海軍航空隊築城飛行場となる。
- 1945年(昭和20年)
- 1955年(昭和30年)
- 1956年(昭和31年)
- 2月 - F-86戦闘機を使用し、第1期戦闘機高等教育が開始。
- 3月1日 - 空自パイロットによるF-86初飛行、式典が行われる。
- 1957年(昭和32年)
- 7月1日 - 米軍から返還。
- 10月1日 - 「航空自衛隊築城基地」設置。臨時築城派遣隊を第3操縦学校に改称[2]。
- 1959年(昭和34年)6月1日 - 第3操縦学校が第16飛行教育団に改称。
- 1964年(昭和39年)
- 2月1日 - 第10飛行隊が新田原基地から移動。
- 10月26日 - 第6飛行隊が新田原基地から移動。第16飛行教育団が廃止、臨時築城航空隊が編成。
- 12月28日 - 臨時航空隊が廃止、第8航空団編成。当時は第6飛行隊・第10飛行隊(共に使用機種はF-86F)
- 1968年 - 第8航空団、航空大事故ゼロ記録開始
- 1977年(昭和52年)
- 4月1日 - 第10飛行隊廃止。
- 8月1日 - 第304飛行隊新編(使用機種はF-4EJ戦闘機)
- 1980年(昭和55年)3月 - 第6飛行隊にF-1支援戦闘機が配備。
- 1981年(昭和56年)
- 1983年(昭和58年)3月16日 - 飛行教導隊が新田原基地へ移動
- 1988年(昭和63年) - 日米地位協定第2条第4項(b)の適用施設・区域(一時共同使用)として在日米軍に提供される(施設・区域名: 築城飛行場、Tsuiki Air Base, FAC 5121)[3]
- 1989年(平成1年)4月 - F-15J/DJ戦闘機の配備開始。
- 1990年(平成2年)1月 - 第304飛行隊、使用機種をF-15J/DJ戦闘機に更新完了。
- 2001年(平成13年)3月 - 第8基地防空隊を新編。
- 2002年(平成14年)6月 - 第8航空団、航空大事故ゼロ30万時間(=34年間)を達成。
- 2004年(平成16年)8月 - 第6飛行隊にF-2戦闘機が配備開始。
- 2006年(平成18年)
- 3月2日 - 第6飛行隊、T-2高等練習機の運用終了。
- 3月9日 - 第6飛行隊、F-1支援戦闘機の運用終了。
- 3月18日 - 第6飛行隊、使用機種をF-2A/B戦闘機に更新。
- 2008年(平成20年)3月13日 - 広域ターミナル・レーダー管制業務とTCAアドバイザリー業務を開始、周防灘周辺空域におけるターミナル・レーダー管制業務と進入管制業務を国土交通大臣から委任を受け、それまで福岡航空交通管制部が実施していた北九州空港と山口宇部空港、小月飛行場(周防エリア)の進入管制業務を移管。[4]
- 9月11日 - 第304飛行隊所属のF-15J(72-8883号機)が訓練中に電源系統の不具合により日本海へ墜落し、喪失(パイロットは脱出)。世界的に希な第8航空団の航空大事故ゼロ記録が38年間で途絶える。
- 2016年(平成28年)
- 2021年(令和3年) - 航空支援隊が三沢基地から移動。
- 2023年(令和5年)
- 3月16日 - 第7高射隊が西部高射群隷下となる。
- 4月20日 - 新庁舎の落成式を挙行[5]
配置部隊
[編集]F-2A/Bを運用する第8航空団が主力となっている(F-15J/DJを装備する第304飛行隊も所属していたが、2016年(平成28年)1月に那覇基地へ移駐)。
高射部隊・施設隊は、みやこ町(旧・豊津町)にある豊津地区に駐留。
西部航空方面隊隷下
航空支援集団隷下
航空戦術教導団隷下
防衛大臣直轄
- 航空警務隊
- 築城地方警務隊
その他
[編集]- 例年11月中旬 - 12月初旬の日曜日には「航空祭」が開催され、ブルーインパルスの展示飛行が目玉となっている。最寄り駅の築城駅には普通列車が増発され、特急列車も臨時停車する。
- 行橋市大字松原の国道10号音無橋交差点から福岡県道25号門司行橋線に入ってすぐの所にある公園は基地内を見渡せるように整備されており、撮影に訪れる航空機ファンが多い。また、築上町大字西八田の西八田漁港からは基地の滑走路が見渡せるため航空祭の前後になると、近県から多くの航空機ファンが撮影に訪れる。ただし、周辺には民家もあるため近隣住民とのトラブルに注意する必要がある。
- 07番滑走路側は民家が多く、たびたび騒音で問題となる。
- 2008年(平成20年)9月11日、第304飛行隊所属のF-15Jが訓練中に墜落、世界的に希な第八航空団の無事故の記録が途絶えたが、同機の残骸は後日回収され、そのうち尾翼一枚が機体への感謝及び追悼の意を込めモニュメントとして司令部前庭の一角に保存されている。
- 情報公開や近隣住民との交流の一環として、築上町内を放送エリアとするコミュニティ放送局「東九州コミュニティー放送(スターコーンFM)」では、2010年から隊員が制作するラジオ番組『ホットスクランブル』が放送されている。スタート当初は隔週・30分放送であったが、2011年からは毎週放送となり、2012年からは1時間に拡大した上で、局も利用する衛星放送「ミュージックバード」のコミュニティチャンネルを利用して全国63局に向けて放送を行っている[6]。
- 豊津地区は、東九州道・みやこ豊津インターのランプ付近にあるが、出入口(徳永交差点)からは離れている。また、一部を除いて防音板により高速道路からは視認できない。
- 普天間基地の移設に伴う関連施設整備の一環として、滑走路長は、海側に300m延長され、2,700mとなる見込みである[7]。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “築城の米軍拠点化調査 福岡 田村・真島氏が現地入り”. しんぶん赤旗. (2018年10月13日). 2018-10-17
- ^ “自衛隊法施行令の一部を改正する政令(昭和32年9月30日政令第296号)”. 国立公文書館デジタルアーカイブ. 2016年5月6日閲覧。
- ^ 昭和63年防衛施設庁告示第1号
- ^ 築城進入管制区の拡大について 防衛省 2008年2月14日
- ^ 航空自衛隊 築城基地 [@jasdf_tsuiki] (2023年4月27日). "築城基地は、令和5年4月20日(木)に新庁舎の落成式を執り行いました。". X(旧Twitter)より2023年5月26日閲覧。
- ^ "築城基地発の放送を全国発信へ". 西日本新聞北九州本社. 西日本新聞. 2012年4月5日. 2012年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月12日閲覧。
- ^ “空自築城基地 滑走路2700メートルに延長へ”. 毎日新聞. (2018年6月20日). 2018-06-20
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 航空自衛隊 築城基地
- 築城基地 (@jasdf_tsuiki) - X(旧Twitter)