筑波駅
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筑波駅 | |
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駅舎(1997年7月) | |
つくば TSUKUBA | |
◄常陸北条 (4.5 km) (2.7 km) 上大島► | |
所在地 | 茨城県筑波郡筑波町沼田 |
所属事業者 | 筑波鉄道 |
所属路線 | 筑波線 |
キロ程 | 20.2 km(土浦起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面3線 |
乗降人員 -統計年度- |
1086人/日 -1977年〜1979年当時[1]- |
開業年月日 | 1918年(大正7年)4月17日[2] |
廃止年月日 | 1987年(昭和62年)4月1日[3] |
筑波駅(つくばえき)は、茨城県筑波郡筑波町(現・つくば市)沼田にあった、筑波鉄道筑波線の駅(廃駅)。
筑波線の主要駅の一つであり、営業当時は筑波山の玄関口として観光客で賑わっていた。また、駅前から筑波山方向(県道42号方面)へ伸びる道路には筑波山神社の鳥居が建てられ、現在も駅前通りの面影を残している。
歴史
[編集]→駅廃止後の歴史については「筑波山口 § 歴史」を参照
- 1918年(大正7年)
- 1926年(大正15年)6月29日:待合室を増築[1]。
- 1960年(昭和35年)度:構内踏切を新設[1]。
- 1965年(昭和40年)6月1日:会社合併に伴い、関東鉄道の駅となる[6]。
- 1967年(昭和42年)5月18日:木造駅舎をコンクリート製駅舎に改築、この日から使用開始[1]。
- 1979年(昭和54年)4月1日:事業譲渡に伴い、筑波鉄道の駅となる[6]。
- 1981年(昭和56年)8月12日:貨物営業廃止[1]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:筑波線の廃線に伴い廃止[3]。
駅構造
[編集]駅舎側の単式ホームの1番線と島式ホームの2・3番線から成る、2面3線の地上駅であった。晩年のホーム上屋は鉄骨構造であった[1]。構内踏切があり、旅客はこの踏切を渡って、駅舎側と島式ホームを移動する形となっていた[1]。
現状
[編集]廃止後、長い間ホームと上屋はそのまま残されたが取り壊された後、土浦方の場所に筑波鉄道廃線跡を利用したサイクリングロード「つくば霞ヶ浦りんりんロード」(茨城県道505号桜川土浦潮来自転車道線)の休憩所が設置され、ベンチ、公衆便所、駐輪場、駐車場がある。旧島式ホームを活用しているが、旧構内踏切よりも土浦方の末端部分であり、普通列車の乗車位置ではなかった部分で、改修されているため当時の面影はない。
駅前のバスターミナルは「筑波山口」として引き続き利用されており、旧駅舎も関東鉄道つくば北営業所として再利用されている。
→「関東鉄道 § バス事業」も参照
-
土浦方のホーム風休憩所(2006年1月)
島式ホームの末端部を改修して利用されている -
サイクリングロードとして改修前の筑波駅構内(1997年7月)
旧2・3番線ホームが残置されている -
廃駅後の駅舎内部(1997年7月)
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 寺田裕一「第3章 施設・駅」『筑波鉄道 : 三度の社名変更を経たローカル私鉄』 下(初版)、カルチュア・エンタテインメント〈RM LIBRARY〉、2021年10月1日、8頁。
- ^ a b 『軽便鉄道運輸開始. 官報 1918年4月27日』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』 21号 関東鉄道・真岡鐵道・首都圏新都市鉄道・流鉄、曽根悟 監修、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2011年8月7日、9-11頁。
- ^ 臼井茂信、小石川多助、中川浩一「常総筑波鉄道1(私鉄車両めぐり)」『鉄道ピクトリアル』 14巻、3号、1964年3月。
- ^ 『軽便鉄道運輸開始. 官報 1918年6月13日』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 『鉄道ジャーナル』 21巻、6号、鉄道ジャーナル社、1987年5月、111頁。