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第十六阪九

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第十六阪九
エレウシスで係船中の「Panagia Krimniotissa」
基本情報
船種 フェリー
船籍 日本の旗 日本
所有者 西日本フェリー
阪九フェリー
釜関フェリー
運用者 西日本フェリー
阪九フェリー
釜関フェリー
建造所 神田造船所川尻工場
姉妹船 第十七阪九
建造費 約15億3000万円[1]
航行区域 沿海[2]
船級 JG[2]
IMO番号 7302079
改名 つくし
第十六阪九
フェリー釜関
STAR TRAILER
PANAGIA KRIMNIOTISSA
経歴
起工 1972年7月5日[2]
進水 1972年11月7日[2]
竣工 1973年3月14日[2]
就航 1973年4月
最後 2011年、トルコのアリアガで解体
要目
総トン数 5,642 トン[2]
全長 135.5 m[2]
垂線間長 125.0 m[2]
22.0 m[2]
型深さ 7.5 m[2]
満載喫水 5.2 m[2]
機関方式 ディーゼル
主機関 IHI-SEMT Pielstick 16PC-2V[2] 2基[1]
推進器 2軸
出力 16,000馬力[1]
最大速力 22.7ノット[2]
航海速力 20ノット[2]
航続距離 1800海里[2]
旅客定員 700名[2]
乗組員 59名[2]
車両搭載数 トラック87台、乗用車128台[2]
テンプレートを表示

第十六阪九(だいじゅうろくはんきゅう)は、阪九フェリーが運航していたフェリー。当初は西日本フェリーつくしとして就航、後に釜関フェリーでも就航した。

概要

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西日本フェリーの第一船として神田造船所で建造され、1973年4月に神戸 - 苅田航路に就航した。 1975年3月、西日本フェリーが航路を譲渡して解散、阪九フェリーに継承され第十六阪九となり、1975年4月28日からは神戸 - 小倉航路に就航した。 ニューやまとの就航により、1983年10月16日に引退した。

その後、韓国釜関フェリーに売却されフェリー釜関(初代)として就航した。はまゆうの就航により、関釜フェリーから移籍してフェリー釜関(初代)となった僚船の第十七阪九と交代して、1999年2月に引退した。

その後、1998年11月に海外売船され、ギリシャミノアン・ラインズ英語版へ売却されSTAR TRAILERとして就航した。

2004年、Saos Ferriesに売却されPANAGIA KRIMNIOTISSAとして就航した。 2008年、Saos Ferriesが倒産したため、ピレウスで係船された。

2011年10月、スクラップとしてトルコへ売却され、アリアガで解体された。

設計

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船内

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客室[1]
  • 特等室(2名)
  • 1等室(計100名)
  • 特2等室(計78名)
  • 2等室(計408名)
  • ドライバー室(計118名)

脚注

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  1. ^ a b c d 新船紹介 西日本フェリー「つくし」 - 旅客船101号(日本旅客船協会 1973年)
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 新造船写真集 旅客兼自動車航送船つくし 株式会社西日本フェリー - 船の科学1973年5月号

外部リンク

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