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竹田玄洋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

竹田 玄洋(たけだ げんよう、1949年3月7日 - )は、日本ゲームプロデューサー任天堂特別顧問、元代表取締役技術フェロー[1]

人物

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1971年静岡大学工学部電気工学科卒業後、三洋電機に入社。1972年、任天堂に入社。岩田聡新社長の体制発足と同時に2002年5月31日に代表取締役専務に就任した。長年、任天堂のハードウェア部門トップを務めていたが[2]、権限委譲などによる後継者育成のため、[3]君島達己新社長就任などの人事に合わせ、2015年9月16日付で統合開発本部長を退任して技術フェローに就任[4]。後任のハードウェア部門トップは、塩田興技術開発本部長[5]。任期満了に伴う本人の申し出により2017年6月29日の株主総会を持って取締役を退任し、その後は特別顧問に就任した[6]

1975年アーケードメダルゲームEVRレース』を開発。任天堂社内では横井軍平よりも早くゲームデザインに携わったクリエイターで、名実共に任天堂最初のゲームデザイナーとなった人物である[7]

レーザークレー、アーケードゲーム等を開発したほか、ファミコンスーパーファミコンの時代には、カセット内に埋め込む特殊チップや、カートリッジに電池によるセーブデータのバックアップシステムを組み込むバッテリーバックアップシステムの開発を担当(これがなかったら『未来神話ジャーヴァス』『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』などは、パスワード式になっていた)。竹田の開発したファミコン用ROMカセットに使う特殊チップMMC(メモリ・マップ・コントローラ)の導入によって、『ゼルダの伝説』、『メトロイド』、『光神話 パルテナの鏡』等、より複雑かつ精密なゲームをこなす能力が備わった。

NINTENDO6464DDニンテンドーゲームキューブWiiWii UNintendo Switch(統合開発本部長を退任するまで)の開発責任者を担当しているなど、任天堂のハードウェア製作の中核を担う人物の一人だが、アーケード版の『パンチアウト!!』などソフトウェアの開発も行っていた。NINTENDO64では、宮本茂と共に、3Dスティックも開発。Wiiでは宮本茂らと共に、Wiiリモコン、センサーバーも開発。Wiiチャンネルの「毎日新しい」というコンセプトを提示。Wiiリモコン開発当初はスペース、コストの問題があり、搭載できなかったジャイロセンサーを接続するWiiモーションプラスの開発の提言を行った[8]。 Wii U、Nintendo Switchでも開発責任者を担当しているが、本体、コントローラー等の仕様決定は、Wii Uは江口勝也、Nintendo Switchは高橋伸也小泉歓晃が担当している。また、Wii、Wii U、Nintendo Switchの仕様決定には、岩田聡が深く関わっている。

2018年2月22日インテラクティブ芸術科学アカデミーは、主催する第21回D.I.C.E. アワードで竹田に生涯功労賞を贈った。

経歴

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主な代表作

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関連項目

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脚注

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  1. ^ 臨時報告書” (PDF). 任天堂 (2015年7月13日). 2015年7月15日閲覧。
  2. ^ 「任天堂、難局攻略へ痛手 岩田社長急逝で司令塔失う 」日本経済新聞2015/7/14
  3. ^ 「任天堂 「キャラクターを積極的に活用」 君島新社長一問一答」日本経済新聞2015年9月15日第15面
  4. ^ 「代表取締役の異動および役員の委嘱・管掌・担当変更に関するお知らせ」任天堂2015.9.14
  5. ^ 「人事、任天堂」日本経済新聞2015/9/15
  6. ^ 64、Wii、スイッチ開発 任天堂・竹田取締役が退任,京都新聞,2017年4月27日
  7. ^ 社長が訊く『PUNCH-OUT!!』
  8. ^ 社長が訊く『Wiiモーションプラス』+『Wii Sports Resort』