竹田復
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人物情報 | |
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生誕 |
1891年1月10日 日本山梨県 |
死没 | 1986年11月7日 (95歳没) |
出身校 | 東京帝国大学 |
子供 | 竹田晃、竹田宏 |
学問 | |
研究分野 | 中国文学・中国語学 |
研究機関 | 東京教育大学 |
竹田 復(たけだ さかえ、1891年(明治24年)1月10日 - 1986年(昭和61年)11月7日)は、日本の中国文学者・中国語学者。東京教育大学名誉教授。
人物
[編集]山梨県生まれ。父は漢学者・竹田左膳。病弱なため和歌山県で小学校を終え、静岡中学校、1914年第一高等学校卒、1918年東京帝国大学文学部支那文学科卒、大学院入学、1921年から1924年北京に学ぶ。
1925年より第一高等学校教授、東京帝国大学文学部助教授を兼任。1945年に「支那口語文学源流考」で東京帝国大学文学博士を取得。1945年1月、東京文理科大学教授。1948年東京教育大学(現筑波大学)教授、1952年定年退官、東洋大学教授、1958年日本大学教授、1964年大東文化大学教授、1967年名誉教授。
家族・親族
[編集]東大教養学部名誉教授竹田晃[1]、大東文化大学元教授竹田宏の父。
編著書
[編集]- 『昭和漢文読本教授参考書』(全4編、文学社、1932-1933年)
- 『支那語發音四聲速習表』(魚返善雄との共著、三省堂、1940年)
- 『支那語新辞典』(博文館、1941年)
- 『新字体漢和新字典』(河野書店、1954年)
共編
[編集]- 『高等漢文 諸子抄』(島田鈞一・佐久節との共編、育英書院、1921年)
- 『中国文学史の問題点』(倉石武四郎との共編、中央公論社、1957年)
- 『現代中国文学論選』(飯田吉郎との共編、アジア出版社、1958年)
監修
[編集]- 『解明新辞典 選名字典・かな使い便覧』(鶴書房、1956年)
- 『常用新辞典 和英併用・ペン字入』(鶴書房、1956年)
- 『新式模範辞典 常識最新語・新かなづかい』(鶴書房、1958年)
シリーズ監修
[編集]校訂
[編集]- 『毛詩講本』(島田鈞一との共同校訂、育英書院、1926年)
参考記事
[編集]- 『東京帝国大学学術大観 文学部』(1943年)
- 内山知也「名譽教授竹田復先生の思い出(先學を語る)」『大東文化大学漢学会誌』(44号、pp. 31-40、2005年3月)
- 宇野精一、前野直彬と座談会「学問の思い出 竹田復博士を囲んで」『東方學』1969年
脚注
[編集]- ^ 進学情報センターニュース 第45号 表紙 (東京大学教養学部、2006年9月)