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竹斯物部莫奇委沙奇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

竹斯物部莫奇委沙奇(つくし の もののべ の まがわさか)は、6世紀中頃(古墳時代後期)の人物。倭国から百済に派遣された軍人[1]。その名からわかるように、筑紫国物部であった[2][1]

概要 

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日本書紀』欽明15年12月条によれば、554年に、新羅が海の北の弥移居(屯倉=直轄領)を滅ぼそうとしたため、百済聖明王は12月9日に物部麻奇牟を派遣して、函山城を攻めた。その際に、竹斯物部莫奇委沙奇は火矢を上手に射た[3]

脚注

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  1. ^ a b 河内春人古代東アジアにおける政治的流動性と人流」『専修大学社会知性開発研究センター古代東ユーラシア研究センター年報』第3巻、専修大学社会知性開発研究センター、2017年3月、113頁、doi:10.34360/00008258 
  2. ^ 小島憲之直木孝次郎西宮一民蔵中進毛利正守『新編 日本古典文学全集4・日本書紀(3)』小学館、1998年。 
  3. ^ 日本書紀』欽明十五年十二月条