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竹斯物部莫奇委沙奇(つくし の もののべ の まがわさか)は、6世紀中頃(古墳時代後期)の人物。倭国から百済に派遣された軍人[1]。その名からわかるように、筑紫国の物部であった[2][1]。
『日本書紀』欽明15年12月条によれば、554年に、新羅が海の北の弥移居(屯倉=直轄領)を滅ぼそうとしたため、百済の聖明王は12月9日に物部麻奇牟を派遣して、函山城を攻めた。その際に、竹斯物部莫奇委沙奇は火矢を上手に射た[3]。