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章穆皇后

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
郭皇后
北宋の皇后
在位 至道3年5月24日 - 景徳4年4月16日
997年7月1日 - 1007年5月5日

別称 章穆皇后
出生 開宝9年(976年
并州晋陽県
死去 景徳4年4月16日
1007年5月5日
開封府
配偶者 真宗
子女 趙祐
父親 郭守文
母親 梁氏
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章穆皇后(しょうぼくこうごう)は、北宋の第3代皇帝真宗の皇后。姓は郭氏

経歴

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并州晋陽県の人。宣徽南院使の郭守文と妻の梁氏のあいだの娘として生まれた。淳化2年(991年)、韓王趙恒(後の真宗)にとつぎ、後妻となって魯国夫人に封ぜられた。趙祐中国語版(後の悼献太子)を産み、至道2年(996年)に秦国夫人に進んだ。真宗が即位すると、皇后となった。節倹を尊び、郭家の者たちに対して厳しく接した。

趙祐は9歳で死去した。郭皇后は悲嘆にくれて体を壊し、景徳4年4月16日(1007年5月5日、半影月偏食だった)に亡くなった。真宗は深く哀悼した。「荘穆」とされ、慶暦4年(1044年)11月、夫の諡を重ねて「章穆」と改諡された。

子女

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伝記資料

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  • 『宋会要輯稿』
  • 宋史