科野大宮社
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科野大宮社 | |
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拝殿とケヤキ | |
所在地 | 長野県上田市常入字上常田723-1 |
位置 | 北緯36度23分40.04秒 東経138度15分28.80秒 / 北緯36.3944556度 東経138.2580000度座標: 北緯36度23分40.04秒 東経138度15分28.80秒 / 北緯36.3944556度 東経138.2580000度 |
主祭神 |
大己貴命 事代主命 |
社格等 |
(推定)信濃国総社 旧県社 |
創建 | (伝)第10代崇神天皇年間 |
例祭 | 10月15日 |
科野大宮社(しなのおおみやしゃ)は、長野県上田市にある神社。信濃国総社と推定され、旧社格は県社。
祭神
[編集]- 主祭神
- 相殿神
- 健御名方富命 (たけみなかたとみのみこと)
歴史
[編集]社伝によれば、第10代崇神天皇の御世に神八井耳命の孫・建五百建命(たけいほたけのみこと)による創建という[2]。
天武天皇の御世に神地の下賜があり、天平年間(729年-749年)には官祭執行の儀があったともいう[2]。
信濃国府は古来上田市にあったとされるが、平安時代初期に松本市へ移されたとされる[3]。上田市の国府は神科台地上と推定されており[3]、当社は国司が参拝する総社であったとする説がある。なお、付近には信濃国分寺跡・信濃国分尼寺跡も残っている。
当社は古来「総社大宮」「科野国魂神」と称したといわれ、中世には常田荘の中心に位置し、「大宮諏訪大明神」と称したと伝える[4]。康安2年(1362年)には関東管領足利基氏が、彗星出現につき天下安全を当社に祈り、願文を奉ったとされる[5]。
真田氏による上田城築城以来、当社は城の鎮守と定められ、信濃国分寺三重塔と当社は藩費をもって修繕したという[4]。寛文9年(1669年)頃の城下町古地図には「常田村大宮」と記載されている[4]。
明治に入り、近代社格制度においては県社に列し、社名を現在の「科野大宮社」に改めた[4]。
境内
[編集]境内には大木が何本も立っており、社叢は市指定天然記念物に指定されている。
現在の社殿は、万延元年(1860年)の上田城主・松平忠礼の再建によるもの[4]。境内社の六所明神と駒形稲荷社は、天正年間の築城の際に上田旧城地から当地に移されたと伝える[4]。
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本殿(右)と稲荷社(左)
文化財
[編集]上田市指定文化財
[編集]- 科野大宮社社叢 - 昭和44年5月9日指定。
現地情報
[編集]- 所在地
- 交通アクセス
- 周辺
脚注
[編集]参考文献
[編集]関連項目
[編集]- 伊和神社 (長野県松本市) - 当社と同じく信濃国総社と推定される。
外部リンク
[編集]- 科野大宮社社叢(上田市文化財マップ)