コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

科野大宮社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
科野大宮社

拝殿とケヤキ
所在地 長野県上田市常入字上常田723-1
位置 北緯36度23分40.04秒 東経138度15分28.80秒 / 北緯36.3944556度 東経138.2580000度 / 36.3944556; 138.2580000 (科野大宮社)座標: 北緯36度23分40.04秒 東経138度15分28.80秒 / 北緯36.3944556度 東経138.2580000度 / 36.3944556; 138.2580000 (科野大宮社)
主祭神 大己貴命
事代主命
社格 (推定)信濃国総社
県社
創建 (伝)第10代崇神天皇年間
例祭 10月15日
テンプレートを表示
鳥居

科野大宮社(しなのおおみやしゃ)は、長野県上田市にある神社信濃国総社と推定され、旧社格県社

祭神

[編集]
主祭神
相殿神

歴史

[編集]

社伝によれば、第10代崇神天皇の御世に神八井耳命の孫・建五百建命(たけいほたけのみこと)による創建という[2]

天武天皇の御世に神地の下賜があり、天平年間(729年-749年)には官祭執行の儀があったともいう[2]

信濃国府は古来上田市にあったとされるが、平安時代初期に松本市へ移されたとされる[3]。上田市の国府は神科台地上と推定されており[3]、当社は国司が参拝する総社であったとする説がある。なお、付近には信濃国分寺跡信濃国分尼寺跡も残っている。

当社は古来「総社大宮」「科野国魂神」と称したといわれ、中世には常田荘の中心に位置し、「大宮諏訪大明神」と称したと伝える[4]康安2年(1362年)には関東管領足利基氏が、彗星出現につき天下安全を当社に祈り、願文を奉ったとされる[5]

真田氏による上田城築城以来、当社は城の鎮守と定められ、信濃国分寺三重塔と当社は藩費をもって修繕したという[4]寛文9年(1669年)頃の城下町古地図には「常田村大宮」と記載されている[4]

明治に入り、近代社格制度においては県社に列し、社名を現在の「科野大宮社」に改めた[4]

境内

[編集]
社叢(市指定天然記念物)

境内には大木が何本も立っており、社叢は市指定天然記念物に指定されている。

現在の社殿は、万延元年(1860年)の上田城主・松平忠礼の再建によるもの[4]。境内社の六所明神と駒形稲荷社は、天正年間の築城の際に上田旧城地から当地に移されたと伝える[4]

文化財

[編集]

上田市指定文化財

[編集]
  • 科野大宮社社叢 - 昭和44年5月9日指定。

現地情報

[編集]
所在地
交通アクセス
周辺

脚注

[編集]
  1. ^ 祭神は『長野県の地名』科野大宮社項による。
  2. ^ a b 『日本の神々』科野大宮項。
  3. ^ a b 『長野県の地名』信濃国節。
  4. ^ a b c d e f 『長野県の地名』科野大宮社項。
  5. ^ 角川日本地名大辞典 20 長野県』p.759 角川書店、1990年

参考文献

[編集]
  • 境内説明板
  • 『日本歴史地名体系 長野県の地名』(平凡社)上田市 科野大宮社項
  • 黒坂周平・滝澤主税「科野大宮」(谷川健一 編『日本の神々 -神社と聖地- 9 美濃・飛騨・信濃』(白水社))

関連項目

[編集]
  • 伊和神社 (長野県松本市) - 当社と同じく信濃国総社と推定される。

外部リンク

[編集]