伊和神社 (松本市)
伊和社 | |
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境内の社叢と社殿 | |
所在地 | 長野県松本市大字惣社539 |
位置 | 北緯36度14分18.15秒 東経137度59分27.51秒 / 北緯36.2383750度 東経137.9909750度座標: 北緯36度14分18.15秒 東経137度59分27.51秒 / 北緯36.2383750度 東経137.9909750度 |
主祭神 | 大己貴命 |
社格等 |
(推定)信濃国総社 旧村社 |
創建 | 不詳 |
例祭 | 5月3日[1] |
伊和神社(いわじんじゃ)は、長野県松本市にある神社。信濃国総社と推定され、旧社格は村社。
正式名称は「伊和社(いわしゃ)」であるが、一般には「伊和神社」と表記される[2]。
祭神
[編集]歴史
[編集]古代、国司は各国内の全ての神社を一宮から順に巡拝していた。これを効率化するため、各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、まとめて祭祀を行うようになった。当社はそのうちの信濃国の総社と推定される。信濃国の総社は、古くは信濃国分寺・信濃国分尼寺の立つ上田市付近にあったが、平安時代初期に松本市に移ったと考えられている[4]。
当地は古くより「惣社(そうざ)」と言われたことから、当地に総社があり、付近には国府があったと推定される[5]。また、国府にある国印と正倉の鍵を祀る「印鑰社(いんやくしゃ)」から、「印」が「伊」に転じ、「鑰」が「輪」に書き間違えられ、「伊和」になったとする説がある[5]。
一方、兵庫県の伊和神社(播磨国一宮)から伊和明神(= 大国主命)を遷座したという説もある[5]。江戸時代の『信府統記』には「惣社六社大明神」とあり、地頭の山家薩摩守(本姓は折野氏)が播磨国姫路の惣社大明神を勧請、のち荒廃したが享保年間(1716年-1736年)に再興したという[6]。ただし実際には、山家薩摩守の草創とするのは誤りで、伊和神が古くからの信濃総社に合祀されたものと見られている[6]。
明治に入り、近代社格制度では村社に列した。また、神饌幣帛料供進神社に指定された[7]。
摂末社
[編集]- 蚕影神社(こかげじんじゃ) - 本殿向かって左隣鎮座。養蚕が盛んな頃、養蚕農家が増産を祈願して建立した。
- 総社伊和大明神 - 本殿向かって右側鎮座。同型の祠が五社並ぶ。
境内
[編集]境内には十数本のケヤキの古木があり、植栽されたと見られている[1]。入り口の2本は、かつては県の天然記念物の指定を受けていた。現在は樹勢の衰えもあり、市の天然記念物に指定されている[1]。
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本殿
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入り口のケヤキ(左手)
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入り口のケヤキ(右手)
文化財
[編集]松本市指定天然記念物
[編集]- 伊和神社のケヤキ群 - 昭和50年11月11日指定。
現地情報
[編集]- 所在地
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 境内説明板
- 『日本歴史地名体系 長野県の地名』(平凡社)松本市 惣社村項
関連項目
[編集]- 科野大宮社 (長野県上田市) - 当社と同じく信濃国総社と推定される。
外部リンク
[編集]- 伊和神社のケヤキ群(松本市文化財ホームページ)