秋葉隆
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人物情報 | |
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生誕 |
1888年10月5日 日本千葉県 |
死没 | 1954年10月16日 (66歳没) |
出身校 | 東京外国語学校 |
学問 | |
研究分野 | 文化人類学・東洋学 |
研究機関 | 京城帝国大学・九州帝国大学・愛知大学 |
秋葉 隆(あきば たかし、1888年(明治21年)10月5日 - 1954年(昭和29年)10月16日)は、日本の文化人類学者。文学博士。
略歴
[編集]出生から学生時代
[編集]1888年、千葉県生まれ。1914年(大正3年)に東京高等師範学校英語部を卒業して、東京外国語学校ドイツ語専修科へ進み、同校を1917年(大正6年)に卒業。東京帝国大学社会学科へ進んで1921年(大正10年)に卒業した。1943年、東京帝国大学より文学博士の学位を取得:論文「朝鮮巫俗の現地研究」[1]。
戦前
[編集]1924年(大正13年)に京城帝国大学予科講師に任命され、また研究のため欧米に派遣された。その間、ロンドン大学、パリ大学に留学し、デュルケーム、ラドクリフ=ブラウン、マリノフスキーなどから文化人類学を学んだ。1926年(大正15年)、帰国と同時に京城帝国大学法文学部助教授に採用されるが、朝鮮に渡る船上で今村鞆『朝鮮風俗集』を読み、その本が後に秋葉が朝鮮の巫俗研究を進めるモデルとなった。従来の朝鮮民俗学は総督府や警察の調査に基づいた研究が中心であったが、秋葉はそれに最先端の文化人類学手法を取り入れ、フィールドワークを用いた調査を行った。フィールドワークには、宋錫夏や孫晋泰などが同行して行なわれた。
戦後
[編集]戦後は、九州帝国大学法文学部講師に就任。1949年(昭和24年)愛知大学教授に文学部長として迎えられ、渥美半島の民俗史を研究した。
著作
[編集]著書
[編集]共編著
[編集]翻訳
[編集]- シモン・エヌ・パツテン『社會原力の理論』社会学研究会 1922 doi:10.11501/972222