秋岡保治
表示
あきおか やすじ 秋岡 保治 | |
---|---|
生誕 |
1886年6月1日 日本・岡山県窪屋郡大島村 (現・倉敷市) |
死没 | 1971年3月7日(84歳没) |
国籍 | 日本 |
出身校 | 国学院大学 |
職業 | 神官 |
著名な実績 |
神社本庁事務総長 明治神宮権宮司 伊勢神宮少宮司 |
秋岡 保治(あきおか やすじ、 1886年〈明治19年〉6月1日 - 1971年〈昭和46年〉3月7日 )は日本の教育者であり神官である。岡山県倉敷市出身[1]。
経歴
[編集]生い立ち
[編集]1886年(明治19年)岡山県窪屋郡大島村(現:倉敷市)に生まれる。旧制高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)を卒業後、国学院大学予科を経て、東京神官講習所である国学院大学へ入学する[2]。1910年(明治43年)国学院大学国史科を卒業した[1]。
大学卒業後
[編集]卒業後、同年に旧制千葉中学(現:千葉県立千葉高等学校)へ教諭として赴任[2]。1912年(明治45年)4月に埼玉県金鑚神社の宮司となり[2]、1913年(大正2年)には、一年志願兵として大日本帝国陸軍歩兵第41連隊へ所属した。除隊後、1914年7月に歩兵少尉の役職に任ぜられる[2]。1916年(大正5年)7月、愛知県砥鹿神社の宮司となる[2]。その後、広島県沼名前神社(読み:ぬなくまじんじゃ)の宮司を経て、東京神職会常務幹事となった[3]。
神官として
[編集]1928年(昭和3年)、今までの活躍が認められて42歳で明治神宮権宮司となり、9年間務めた後、1937年(昭和12年)51歳で春日大社宮司となった。この後も日枝神社宮司、第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)には、伊勢神宮少宮司を歴任し、1956年(昭和31年)から4年間神社本庁事務総長をつとめた[1]。
1971年(昭和46年)3月7日、84歳で死去[1]。
脚注
[編集][脚注の使い方]