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秋岡保治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
あきおか やすじ

秋岡 保治
生誕 1886年6月1日
日本の旗 日本岡山県窪屋郡大島村
(現・倉敷市
死没 1971年3月7日(84歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 国学院大学
職業 神官
著名な実績 神社本庁事務総長
明治神宮権宮司
伊勢神宮少宮司
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秋岡 保治(あきおか やすじ、 1886年明治19年〉6月1日 - 1971年昭和46年〉3月7日 )は日本の教育者であり神官である。岡山県倉敷市出身[1]

経歴

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生い立ち

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1886年(明治19年)岡山県窪屋郡大島村(現:倉敷市)に生まれる。旧制高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)を卒業後、国学院大学予科を経て、東京神官講習所である国学院大学へ入学する[2]。1910年(明治43年)国学院大学国史科を卒業した[1]

大学卒業後

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卒業後、同年に旧制千葉中学(現:千葉県立千葉高等学校)へ教諭として赴任[2]。1912年(明治45年)4月に埼玉県金鑚神社の宮司となり[2]、1913年(大正2年)には、一年志願兵として大日本帝国陸軍歩兵第41連隊へ所属した。除隊後、1914年7月に歩兵少尉の役職に任ぜられる[2]。1916年(大正5年)7月、愛知県砥鹿神社の宮司となる[2]。その後、広島県沼名前神社(読み:ぬなくまじんじゃ)の宮司を経て、東京神職会常務幹事となった[3]

神官として

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1928年(昭和3年)、今までの活躍が認められて42歳で明治神宮権宮司となり、9年間務めた後、1937年(昭和12年)51歳で春日大社宮司となった。この後も日枝神社宮司、第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)には、伊勢神宮少宮司を歴任し、1956年(昭和31年)から4年間神社本庁事務総長をつとめた[1]

1971年(昭和46年)3月7日、84歳で死去[1]

脚注

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  1. ^ a b c d 日外アソシエーツ現代人物情報
  2. ^ a b c d e 国之礎 p.482, 鹿堂近藤健吉 著, 参陽新報社 大正6年
  3. ^ 岡山県都窪郡案内誌 p.17, 岡本芳衛 編, 都窪郡案内誌編纂会 大正13年