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慶光院利敬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
慶光院 利敬
時代 明治時代 - 昭和時代
生誕 (1875-02-13) 1875年2月13日[1]
死没 (1938-02-19) 1938年2月19日(63歳没)
官位 従三位
勲章 勲三等瑞宝章
主君 明治天皇大正天皇昭和天皇
氏族 二条家慶光院家
父母 父:二条斉敬、母:家女房
養母:慶光院盈子
兄弟 二条正麿四条隆英
配偶者 慶光院増子(東園基愛女)
子供 利彰、敏子、治子
奉職神社 伊勢神宮
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慶光院 利敬(けいこういん よしゆき[1])は、明治時代から昭和時代にかけての日本神職伊勢神宮少宮司従三位

生涯

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1875年(明治8年)、二条斉敬の子として生まれる[1]1902年(明治35年)に慶光院盈子の養子となり、1906年(明治39年)に家督を継承した[2]

1906年4月4日伊勢神宮禰宜に任じられ、高等官八等(奏任官)に叙される[3]。同日年俸として420円を下賜された[4]1912年(明治45年)5月31日に高等官七等に陞叙した[5]。以後、1915年(大正4年)12月24日には高等官六等[6]1918年(大正7年)12月26日には高等官五等[7]1922年(大正11年)3月8日には高等官四等[8]1926年(大正15年)5月13日には高等官三等[9]、と順調に陞叙していった。

神宮禰宜を務める傍ら、神宮司庁会計課長[10]、官房主事兼庶務課長を務める[2]1934年昭和9年)6月22日には臨時神宮施設調査会の幹事[11]1936年(昭和11年)9月3日には神宮関係施設調査会の幹事に[12]、それぞれ任じられる。

1937年(昭和12年)8月28日神宮少宮司に任じられ、高等官二等(勅任官)に叙された[13][注釈 1]。翌1938年(昭和13年)2月19日に63歳で薨去した[15][16][17][注釈 2]

栄典

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位階
勲等・勲章

系譜

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脚注

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注釈

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  1. ^ 同日、空席となった禰宜には松木素彦が任じられた[13]。前任の少宮司菟田茂丸橿原神宮宮司に再任された[14]
  2. ^ ただし、霞会館 1996b, p. 319では2月18日となっている。

出典

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  1. ^ a b c d 霞会館 1996b, p. 319.
  2. ^ a b c d e 人事興信所編 1931, p. ケ1.
  3. ^ 『官報』第6826号, 明治39年4月4日, p. 93, 敍任及辭令.
  4. ^ 『官報』第6826号, 明治39年4月4日, p. 94, 敍任及辭令.
  5. ^ 『官報』第8684号, 明治45年6月1日, p. 3, 敍任及辭令.
  6. ^ 『官報』第1021号, 大正4年12月25日, p. 634, 敍任及辭令.
  7. ^ 『官報』第1921号, 大正7年12月27日, p. 706, 敍任及辭令.
  8. ^ 『官報』第2878号, 大正11年3月9日, p. 214, 敍任及辭令.
  9. ^ 『官報』第4115号, 大正15年5月14日, p. 353, 敍任及辭令.
  10. ^ 人事興信所編 1934, p. ケ2.
  11. ^ 『官報』第2242号, 昭和9年6月23日, p. 597, 敍任及辭令.
  12. ^ 『官報』第2904号, 昭和11年9月4日, p. 100, 敍任及辭令.
  13. ^ a b 『官報』第3198号, 昭和12年8月30日, p. 876, 敍任及辭令.
  14. ^ 『官報』第3198号, 昭和12年8月30日, p. 877, 敍任及辭令.
  15. ^ 『官報』第3342号, 昭和13年2月25日, p. 779, 「彙報」官吏薨去、卒去及死去.
  16. ^ 神宮司庁編 2005, p. 248.
  17. ^ 館史編纂委員会 2014, p. 144.
  18. ^ 『官報』第6858号, 明治39年5月12日, p. 364, 敍任及辭令.
  19. ^ 『官報』第8028号, 明治43年3月31日, p. 803, 敍任及辭令.
  20. ^ 『官報』第1058号, 大正5年2月14日, p. 217, 敍任及辭令.
  21. ^ 『官報』第1626号, 大正7年1月7日, p. 33, 敍任及辭令.
  22. ^ 『官報』第3800号, 大正14年4月25日, p. 653, 敍任及辭令.
  23. ^ 『官報』第615号, 昭和4年1月19日, p. 353, 敍任及辭令.
  24. ^ 『官報』第981号, 昭和5年4月10日, p. 254, 敍任及辭令.
  25. ^ 『官報』第3258号, 昭和12年11月10日, p. 265, 敍任及辭令.
  26. ^ a b 『官報』第3344号, 昭和13年2月28日, p. 874, 敍任及辭令.
  27. ^ 『官報』第2046号, 大正8年5月31日, p. 808, 敍任及辭令.
  28. ^ 『官報』第3608号, 大正13年9月1日, p. 5, 敍任及辭令.
  29. ^ 『官報』第1141号, 昭和5年10月16日, p. 399, 敍任及辭令.
  30. ^ 霞会館 1996b, p. 388.
  31. ^ 霞会館 1996a, p. 234.
  32. ^ 霞会館 1996a, p. 276.

参考文献

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書籍
  • 人事興信所編『人事興信録』(9版)人事興信所、1931年。 
  • 人事興信所編『人事興信録』 上巻(10版)、人事興信所、1934年。 
  • 霞会館平成新修旧華族家系大成』 上巻、吉川弘文館、1996年。 
  • 霞会館平成新修旧華族家系大成』 下巻、吉川弘文館、1996年。 
  • 神宮司庁編『神宮史年表』戎光祥出版、2005年。ISBN 978-4-90090-151-3 
  • 館史編纂委員会『皇學館大学百三十年史:年表篇・写真篇』学校法人皇學館、2014年。 
官報
  • 『官報』 第6826号、1906年4月5日。 
  • 『官報』 第6858号、1906年5月12日。 
  • 『官報』 第8028号、1910年3月31日。 
  • 『官報』 第8684号、1912年6月1日。 
  • 『官報』 第1021号、1915年12月25日。 
  • 『官報』 第1058号、1916年2月14日。 
  • 『官報』 第1626号、1918年1月7日。 
  • 『官報』 第1921号、1918年12月27日。 
  • 『官報』 第2046号、1919年5月31日。 
  • 『官報』 第2878号、1922年3月9日。 
  • 『官報』 第3608号、1924年9月1日。 
  • 『官報』 第3800号、1925年4月25日。 
  • 『官報』 第4115号、1926年5月14日。 
  • 『官報』 第615号、1929年1月19日。 
  • 『官報』 第981号、1930年4月10日。 
  • 『官報』 第1141号、1930年10月16日。 
  • 『官報』 第2242号、1934年6月23日。 
  • 『官報』 第2904号、1936年9月4日。 
  • 『官報』 第3198号、1937年8月30日。 
  • 『官報』 第3258号、1937年11月10日。 
  • 『官報』 第3342号、1938年2月25日。 
  • 『官報』 第3344号、1938年2月28日。 
先代
慶光院盈子
慶光院家
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次代
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