秋元源彌 (1886年生の実業家)
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秋元 源彌(秋元 源弥[1]、あきもと げんや[1]、前名・梅吉[2][3]、1886年(明治19年)5月18日[4] - 没年不明)は、日本の商人(近江屋、皮革商)[2][5][6]、実業家。秋元皮革社長[1][4][7][8]。
経歴
[編集]東京府人・秋元源彌の二男[2][4][5]。1915年、家督を相続し、前名・梅吉を改める[3][4]。「近江屋」と称し、皮革商を営み傍ら会社の重役である[2][4][5]。秋元皮革を設立、社長に就任する[1]。また旭薬品工業、日本家畜市場、千住屠場各取締役、日本畜産工業常務取締役などをつとめる[3][4]。
人物
[編集]1936年、紺綬褒章を賜る[8]。宗教は真宗[6][7][8]。趣味は読書[7]、旅行、事業[6][7][8]。住所は東京市下谷区入谷町[4][5]、坂本町2丁目[1][6]、墨田区吾嬬町東5丁目[1]。営業所は荒川区三河島[7]。かつての族籍は東京府平民であった[3]。
家族・親族
[編集]- 秋元家
- 父・初代源彌(1855年 - 1915年、皮革商、近江屋) - 近江国坂田郡甲田村(現滋賀県彦根市甲田町)生まれ[9]。
- 弟・喜市(1893年 - ?、肥料商、秋元油肥製造所)
- 妻・八重野(1884年 - ?、大阪、芝崎彌七の長女)[2][4][5][注 1]
- 長男・武夫(1904年 - ?、秋元皮革取締役)[8]
- 二男・健二(1908年 - ?、秋元皮革社長)[11] - 三笠屋商店代表をつとめる[12]。油脂工業を営む[8]。秋元皮革取締役[1]を経て社長に就任する。趣味は写真、旅行[8]。宗教は真宗[8]。住所は東京市下谷区長者町[8]、台東区下谷2丁目、墨田区立花5丁目[11]。
- 長女[4][5]
- 二女[3]
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g 『産経日本紳士年鑑 第4版』あ41頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月21日閲覧。
- ^ a b c d e 『現代人事調査録』ア2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月17日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第7版』あ109頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月16日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『大衆人事録 第3版』ア之部62頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月16日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第11版 上』ア94頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月16日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第12版 上』ア87頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月16日閲覧。
- ^ a b c d e 『大衆人事録 第14版 東京篇』24頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月16日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第14版 上』ア72 - 73頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月17日閲覧。
- ^ 『京浜実業家名鑑』609頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月17日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第5版』き52頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月16日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第24版 上』あ98頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月21日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第52版』あ41頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月21日閲覧。
参考文献
[編集]- 遠山景澄編『京浜実業家名鑑』京浜実業新報社、1907年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 猪野三郎編『現代人事調査録』帝国秘密探偵社ほか、1925年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937 - 1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 東京篇』帝国秘密探偵社、1942年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 藤井麟太郎『日本紳士録 第52版』交詢社、1960年。
- 『産経日本紳士年鑑 第4版』産経新聞年鑑局、1963年。
- 人事興信所編『人事興信録 第24版 上』人事興信所、1968年。