福室郷次
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福室 郷次[1][2](ふくむろ ごうじ、1893年(明治26年)1月22日[3] - 没年不明)は、日本の実業家、政治家。族籍は東京府平民[4]。
経歴
[編集]東京府人・福室芳太郎の二男[5][6][7][8]。早稲田実業学校出身[2]。1915年、母の退隠により家督を相続する[5][8]。1917年、東京土地に入社する[2]。1921年、落合村会議員に挙げられる[2]。
10数の会社に関与する[2]。共立土地建物専務取締役[5][8]・同常務取締役[7]・同社長[3][9]、共同商事専務取締役[4]、高田農商銀行常務取締役[4]、東京土地[7]、昭和不動産管理、洛西館各取締役[1]などをつとめる。
1931年11月に町助役に就任し、1932年5月に辞職する[3]。
人物
[編集]宗教は真言宗[5][8]。住所は東京市淀橋区(現・新宿区)上落合1丁目[1][5][9]。
栄典
[編集]家族
[編集]- 福室家
家系について『落合町誌』によると「当家は土地での旧家名門とうたわれ、始祖は口碑に畠山氏の苗裔にして土着後累代名主を相継ぎ地方文化の開発に努め、連綿として今日に至れる家柄である」という[3]。
脚注
[編集]- ^ a b c 『日本紳士録 第44版』東京フの部499頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年4月3日閲覧。
- ^ a b c d e f 『東京府市名誉録』豊多摩郡之部(落合村)59頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月14日閲覧。
- ^ a b c d 『落合町誌』378 - 379頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年3月29日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第7版』ふ77頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年4月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第13版 下』フ38頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年4月3日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第8版』フ39頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年4月3日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第10版 下』フ38頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年4月3日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第14版 下』フ37頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年4月3日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第36版』東京フの部655頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年4月3日閲覧。
- ^ a b 『紺綬褒章名鑑 賞勲局百年資料集 昭和17年〜昭和22年』135 - 136頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月24日閲覧。
- ^ 『大日本紳士鑑』東京府南豊島郡東多摩郡160頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年3月29日閲覧。
参考文献
[編集]- 妹尾久造編『大日本紳士鑑』経済会、1895年。
- 篠田皇民『東京府市名誉録』東京人事調査所、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 交詢社編『日本紳士録 第36版』交詢社、1932年。
- 落合町誌刊行会編『落合町誌』落合町誌刊行会、1932年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版 下』人事興信所、1934年。
- 交詢社編『日本紳士録 第44版』交詢社、1940年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 総理府賞勲局編『紺綬褒章名鑑 賞勲局百年資料集 昭和17年〜昭和22年』大蔵省印刷局、1987年。