福原豊功
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福原 豊功(ふくばら とよのり、1852年8月10日(嘉永5年6月25日) - 1895年(明治28年)7月27日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]長州藩京都留守居役・福原与三兵衛世民の二男として生まれる。奇兵隊士として戊辰戦争に従軍し奥羽に転戦。1869年、イギリスに出張。1870年、大隊4等士官、さらに陸軍准少尉に任官し近衛付となった。熊本鎮台歩兵第12連隊中隊長として台湾出兵に従軍。さらに、1877年2月から10月まで西南戦争に出征した。
歩兵第13連隊大隊長、熊本鎮台・大阪鎮台・中部監軍部・東京鎮台の各参謀、歩兵第18連隊長などを経て、1887年11月、陸軍大佐に進級。近衛歩兵第2連隊長、第5師団参謀長、第6師団参謀長などを歴任し、1894年8月、陸軍少将に進級。歩兵第8旅団長を経て、南部兵站監として日清戦争末に出征し、戦後の占領地総督府参謀長となったが、1895年7月、コレラにより戦病死した。墓所は青山霊園。
1897年10月、その功により嗣子基蔵に男爵の爵位が追贈された。
栄典・授章・授賞
[編集]- 1885年(明治18年)11月19日 - 勲三等旭日中綬章[1]
- 1890年(明治23年)1月17日 - 従五位[2]
- 1889年(明治22年)11月29日 - 大日本帝国憲法発布記念章[3]
- 1894年(明治27年)10月10日 - 正五位[4]
- 1895年(明治28年)
- 1898年(明治31年)9月30日 - 靖国神社合祀[7]