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監軍部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

監軍部(かんぐんぶ)は、日本陸軍の組織。二つの同名称の組織があり、第一次は師団司令部の前身といえるもので、第二次は教育総監部の前身である。

第一次

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概要

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1878年(明治11年)12月13日、監軍本部条例(太政官第52号達)により「監軍本部」が設立された。監軍本部は師団司令部の前身といえるもので、本部を東京に置き、監軍部長(中将)を東部、中部、西部に置いた。東部は第1軍管東京鎮台)・第2軍管仙台鎮台)・北海道を、中部は第3軍管名古屋鎮台)・第4軍管大阪鎮台)を、西部は第5軍管広島鎮台)・第6軍管熊本鎮台)をそれぞれ管轄した。監軍部長の任務は、平時において「軍令ノ出納並現役及ヒ第一後備ノ検閲」を担当し、戦時において師団司令長官として管轄の旅団(鎮台)司令長官を統率した。1885年(明治18年)5月18日、監軍部条例の制定により監軍本部を「監軍部」と改称し、1886年(明治19年)7月24日に廃止された。

歴代監軍部長

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東部監軍部長
中部監軍部長
  • 野津鎮雄 中将:1878年12月10日 - 1880年7月22日
  • 谷干城 中将:1880年8月9日 -
  • 曾我祐準 中将:1881年4月29日 -
  • (心得)黒川通軌 少将:1882年2月6日 - 1885年5月18日
西部監軍部長
  • 三浦梧楼 中将:1878年12月10日 -
  • (心得)高島鞆之助 少将:1882年2月6日 -
  • 高島鞆之助 中将:1883年2月1日 - 1885年5月18日

第二次

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概要

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1887年(明治20年)6月2日、監軍部条例(勅令第18号)が制定され、教育総監部の前身である第二次「監軍部」が設置された。その任務は「陸軍軍隊練成ノ斉一ヲ規画」する陸軍の教育を担当した。長官は天皇に直隷する監軍(大将または中将)で、以下、参謀長(少将または大佐)、将校学校監(少将)、騎兵監(少将または騎兵大佐)、砲兵監(少将または砲兵大佐)、工兵監(少将または工兵大佐)、輜重兵監(少将または輜重兵大佐)が置かれた。

監軍は、勅命により検閲使として軍隊を検閲する役割も担った。騎兵監などの各兵監は、それぞれの本科に関する調査、研究、審議、立案を担った。

1898年(明治31年)1月22日に制定された教育総監部条例(勅令第7号)により、監軍部は教育総監部に改編された。(教育総監部については教育総監を参照)

沿革

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  • 1887年6月2日 監軍部設置
  • 1888年5月17日 陸軍乗馬学校を騎兵監の管轄とする。
  • 1890年9月20日 砲兵監を「要塞砲兵監」と「野戦砲兵監」に分ける。
  • 1893年12月16日 将校学校監を廃止し、所管陸軍諸学校を監軍直轄とする。
  • 1898年1月22日 教育総監部に改編。

歴代監軍

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  • (兼)山縣有朋 中将:1887年5月31日 -
  • (兼)大山巌 中将:1888年2月3日 -
  • (兼)山縣有朋 中将:1889年10月3日 -
  • (兼)大山巌 中将:1889年12月24日 -
  • 三好重臣 中将:1890年6月7日 -
  • 山縣有朋 大将:1894年12月18日 -
  • (臨時)大山巌 大将:1896年3月16日 -
  • 山縣有朋 大将:1896年7月31日 - 1898年1月20日

歴代参謀長

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  • 児玉源太郎 大佐:1887年6月3日 - 1892年8月23日
  • 大島久直 少将:1892年9月7日 - 1893年11月22日
  • 岡沢精 少将:1893年11月22日 - 1894年8月30日
  • (兼・事務取扱)波多野毅 歩兵大佐:1894年9月13日 - 1895年8月10日
  • 井上光 少将:1895年8月20日 - 1898年1月20日

将校学校監

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  • 滋野清彦 少将:1887年6月6日 -
  • 野崎貞澄 少将:1889年8月24日 - 1890年6月7日
  • 不明:1890年6月7日 -
  • 岡沢精 少将:1892年11月22日 - 1893年11月22日
  • (兼)岡沢精 少将:1893年11月22日 -

砲兵監

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歴代騎兵監・要塞砲兵監・野戦砲兵監・工兵監・輜重兵監

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管轄学校

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監軍直轄
将校学校監管轄
騎兵監管轄(1888年5月17日より)

陸軍大学校参謀本部の管轄。

参考文献

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