神田翠月
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本名 | |
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生年月日 | 1943年8月24日 |
没年月日 | 2020年12月2日(77歳没) |
出身地 | 静岡県浜松市 |
死没地 | 千葉県船橋市 |
師匠 | 田辺一鶴 二代目神田山陽 |
名跡 | 1.田辺小鶴 (1968年 - 1976年) 2.はまな翠月 (1976年 - 1980年) 3.神田翠月 (1980年 - 2020年) |
活動期間 | 1968年 - 2020年 |
活動内容 | 講談師 |
所属 | 講談協会 |
神田 翠月(かんだ すいげつ、1943年8月24日[1] - 2020年12月2日[2])は、講談師。本名:遠藤 朝子。
経歴
[編集]静岡県浜松市有玉南町生まれ。浜松市立積志中学校、静岡県立浜名高等学校卒業。
歌手を目指し上京後、1968年2月、田辺一鶴に弟子入り「小鶴」。女流講談師の草分けの一人。1971年3月二ツ目昇進。1976年5月真打昇進「はまな翠月」。
1980年9月「神田翠月」と改名。
講談協会副会長[3]・常任理事兼監査役などを歴任。師の山陽が日本講談協会に移っても講談協会にとどまった。
2020年12月2日、がんのため千葉県船橋市の病院で死去。葬儀は近親者のみで執り行われた。
CD
[編集]外部リンク
[編集]- アーティストプロフィール・神田翠月 - ラジオデイズ
- 神田紅佳 「訃報を聞いて」(神田紅佳 どうぞよしなに、2020.12.6) - ameba blog
脚注
[編集]- ^ 『東西寄席演芸家名鑑』東京かわら版 東西寄席演芸家名鑑、2015年9月5日、200頁。
- ^ “神田翠月さん死去 講談師”. 東京新聞. (2020年12月7日)
- ^ “永谷商事が七福神めぐり、神田翠月と歩く「日本橋8神社」”. 銀座新聞ニュース (2013年1月2日). 2021年4月4日閲覧。