神前五郎
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人物情報 | |
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生誕 | 1919年4月5日 |
死没 |
2015年3月22日(95歳没) 大阪府豊中市 肺炎 |
居住 | 大阪府豊中市 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 大阪帝国大学医学部 |
学問 | |
研究分野 | 癌、血栓止血学 |
研究機関 | 大阪大学医学部 |
学位 | 医学博士 |
学会 | 日本外科学会 |
神前 五郎(こうさき ごろう、1919年(大正8年)4月5日 - 2015年(平成27年)3月22日)は、日本の外科医、元大阪大学教授。
概要
[編集]千葉県出身。大阪帝国大学医学部出身の外科医で、専門は癌、血栓止血学。阪大医学部第二外科教授、後に日本外科学会会長、定年退官後は東京都立駒込病院の院長をつとめた。山崎豊子『白い巨塔』の財前五郎のモデルとされるが、山崎が主治医であった神前の名前と地位を借りたのみで、直接的なモデルではないとされる[1][2]。孫に作曲家・編曲家の神前暁がいる。2013年、「がんもどき」理論を提唱する近藤誠に反論し、『週刊朝日』誌上で直接討論を行った[3]。2015年3月22日 肺炎のため95歳で死去した[2]。
経歴
[編集]- 1943年(昭和18年) - 大阪帝国大学医学部医学科卒業
- 1949年(昭和24年) - 「血液凝固に関する研究」で阪大医学博士。阪大助手となる
- 1953年(昭和28年)1月 - 和歌山県立医科大学助教授となる
- 1954年(昭和29年) - 阪大講師、助教授となる
- 1961年(昭和36年) - 大阪府立成人病センター外科部長となる
- 1975年(昭和50年)2月 - 阪大医学部第二外科教授となる
- 1983年(昭和58年) - 定年退官、東京都立駒込病院外科の所属となる
- 1984年(昭和59年) - 東京都立駒込病院の院長に就任
共編著
[編集]- 『DICの診断と治療 症例を中心として』共編 現代医療社、1984 ISBN 978-4905915126
- 『膵分泌性トリプシン・インヒビター 基礎と臨床』小川道雄共編 医学図書出版、1985 ISBN 978-4871511186
- 『外科診断学』共編 医歯薬出版、1988 ISBN 978-4263204146
脚注
[編集]- ^ “『白い巨塔』モデル医師 「根拠なき“がんもどき理論”を撤回せよ」”. 週刊朝日 (2013年8月10日). 2023年12月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月27日閲覧。
- ^ a b “元日本外科学会会長、神前五郎氏が死去 「白い巨塔」山崎豊子さんの元主治医”. 産経WEST (産経デジタル). (2015年3月25日) 2015年4月2日閲覧。
- ^ 『週刊朝日』2013年9月20日「がん放置療法をめぐる大激論」
参考文献
[編集]- 『現代日本人名録』2002、日外アソシエーツ