神丘駅
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神丘駅 | |
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かみおか Kamioka | |
◄今金 (3.3 km) (3.5 km) 丹羽► | |
所在地 | 北海道瀬棚郡今金町字神丘 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 瀬棚線 |
キロ程 | 33.9 km(国縫起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1961年(昭和36年)4月1日 |
廃止年月日 | 1987年(昭和62年)3月16日 |
備考 | 瀬棚線廃線に伴い廃駅 |
神丘駅(かみおかえき)は、北海道瀬棚郡今金町字神丘にかつて設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)瀬棚線の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲141610[1]。
歴史
[編集]- 1961年(昭和36年)4月1日 - 国有鉄道瀬棚線の今金駅 - 丹羽駅間に、無人駅として開業[2][3]。旅客のみ取扱い[4]。
- 1987年(昭和62年)3月16日 - 瀬棚線の全線廃止に伴い、廃駅となる[3]。
駅名の由来
[編集]所在地名より[2]。「神のいる丘」の意から名づけられた[2][5]。
1892年(明治25年)より埼玉県などから、キリスト教徒10名が入植・開拓した集落が近隣にあり[6]、当初は地名も「インマヌエル」と称したが、1933年(昭和8年)に現在の「神丘」に改名を余儀なくされた[7]。当地の開拓初期には荻野吟子の夫である志方之善が関わっている。
駅構造
[編集]廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった[8]。ホームは、線路の南側(瀬棚方面に向かって左手側)に存在した。瀬棚方がスロープになっており、道路に連絡した[8]。
開業時からの無人駅であった。駅舎は存在せず、地元住人が建築した小さな待合室を有していた[8]。ホームは荒い砂敷きであった[8]。
利用状況
[編集]- 1981年度の1日乗降客数は8人[8]。
駅周辺
[編集]- 北海道道936号丹羽今金線
- 今金町立神丘小学校
- 後志利別川
駅跡
[編集]2010年(平成22年)時点でホーム跡が土盛りとして残り、ホームに植えられていた樹木も残っていた。また瀬棚寄りには25キロの速度制限表も残存していた[9]。2011年(平成23年)時点でも同様であった[10]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、220頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ a b c 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、25頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ a b 『道南鉄道100年史 遥』 北海道旅客鉄道函館支社 2003年2月発行。
- ^ 「日本国有鉄道公示第97号」『官報』1961年3月29日。
- ^ “アイヌ語地名リスト オニシベ~キタ P31-40P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年10月19日閲覧。
- ^ “インマヌエルの丘 / 檜山を旅しよう”. 北海道 檜山振興局. 2021年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月4日閲覧。
- ^ “今金インマヌエル教会”. 北海道教区 教会と施設. 日本聖公会北海道教区. 2021年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月4日閲覧。
- ^ a b c d e 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)65ページより。
- ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)164ページより。
- ^ 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社、2011年9月発行)77ページより。