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祝園神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
祝園神社

祝園神社。
2015年平成27年)2月23日撮影)
所在地 日本の旗 日本京都府相楽郡精華町大字祝園小字柞ノ森(ほほそのもり)18番地
位置 北緯34度46分5秒 東経135度48分5秒 / 北緯34.76806度 東経135.80139度 / 34.76806; 135.80139 (祝園神社)座標: 北緯34度46分5秒 東経135度48分5秒 / 北緯34.76806度 東経135.80139度 / 34.76806; 135.80139 (祝園神社)
主祭神 健御雷命
経津主命
天児屋根命
社格 式内社(大)
旧・郷社
創建 不詳奈良時代以前)
主な神事 いごもり祭(毎年正月甲申の日より3日間)
地図
祝園神社の位置(京都府内)
祝園神社
祝園神社
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祝園神社の神紋。

祝園神社(ほうそのじんじゃ)は、京都府相楽郡精華町にある神社である。崇神天皇の時代に謀反を起こした武埴安彦命が討伐されたとされる地に鎮座する[1]

神紋(社紋)は「下り藤」。


祭神

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健御雷命経津主命天児屋根命の三神を祀る。

歴史

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創建時期は不詳だが新抄格勅符抄(神事諸家封戸、大同元年(806年)牒)に、「祝園神 四戸山城国」とあり奈良時代には存在したと推定される。崇神天皇延喜式神名帳には「祝園神社」として記載されている[2]

神事

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毎年正月甲申の日より3日間にわたり、いごもり祭が行われる。第10代崇神天皇時代武埴安彦命謀反を起こしたため討伐されたが、悪霊となってこの地に止まって田畑を荒れさせたため、村人たちは忌み篭もってこの霊を鎮めた、という伝説に基づき行なわれている[3]。昔は、祭りの間を隣村へ預け、一切のを禁じ、精進料理を食し、居篭ったという[3]。1日目に神官が暗闇の中で行なう「風呂井の儀」、2日目に松明(たいまつ)を燃やす「御田の儀」、3日目に「綱引の儀」が行われる[3]。綱はわらに割り竹を巻いて作った直径約1メートルの輪に、竹を6本取り付けた巨大なもので、氏子が南北に分かれて3回綱引きを行ない、勝敗が決まった後、武埴安彦の処刑場所と伝えられる いずもりに綱を運んで燃やす。

交通

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脚注

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  1. ^ 「全国神社名鑑第2巻」 全国神社名鑑刊行会 1977年昭和52年) p.91
  2. ^ 京都府の地名 p.107
  3. ^ a b c 田蓑健太郎「綱引きの構造と変容 : 京都府相楽郡精華町について」『日本体育学会大会号』第48巻第48回(1997)、日本体育学会、1997年、639頁、doi:10.20693/jspeconf.48.0_639NAID 110001903306  (日本語)

参考文献

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外部リンク

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