磯部村 (三重県)
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いそべむら 磯部村 | |
---|---|
廃止日 | 1955年2月11日 |
廃止理由 |
新設・編入合併 志摩郡磯部村、的矢村、度会郡神原村(一部) → 磯部町 |
現在の自治体 | 志摩市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東海地方、近畿地方 |
都道府県 | 三重県 |
郡 | 志摩郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 62.4 km2 |
総人口 |
8,917人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 |
鳥羽市、伊勢市 志摩郡阿児町、浜島町、的矢村 度会郡五ヶ所町、神原村 |
磯部村役場 | |
所在地 | 三重県志摩郡磯部村大字迫間4番地 |
座標 | 北緯34度22分32秒 東経136度48分18秒 / 北緯34.37547度 東経136.80497度座標: 北緯34度22分32秒 東経136度48分18秒 / 北緯34.37547度 東経136.80497度 |
ウィキプロジェクト |
磯部村(いそべむら)は三重県志摩郡にあった村。現在の志摩市磯部町各大字の東端・西端を除く区域にあたる。
地理
[編集]歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、上之郷村・下之郷村・飯浜村・山田村・沓掛村・五知村・迫間村・築地村・恵利原村・穴川村・坂崎村の区域をもって答志郡磯部村が発足。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 所属郡が志摩郡に変更。
- 1951年(昭和26年)11月24日 - 昭和天皇が磯部小学校に行幸(昭和天皇の戦後巡幸)[1]。
- 1955年(昭和30年)2月11日 - 度会郡神原村の一部(大字栗木広・檜山・山原)を編入。即日的矢村と合併して磯部町が発足。同日磯部村廃止。
経済
[編集]産業
[編集]- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば磯部村の篤農家は、「坂本庄太郎、畑春吉、山下健太郎、中野作蔵、畑文七、作田粂之丞、中山荻太、向井文三郎、平石亀松、谷口角太郎、向井亮治、森久吉」などがいた[2]。
地域
[編集]- 学校
- 三重県志摩高等学校北校舎
- 磯部村立磯部中学校
- 磯部村立磯部小学校
- 五知分校
- 伊雑分校
- 築地分校
- 飯浜分校
- 坂崎分校
- 公的機関
行政
[編集]磯部村役場は当初、恵利原に置かれ、後に迫間4番地(後の志摩市磯部郷土資料館所在地)に移転した[3]。村役場は磯部町発足後7か月間町役場として利用された後に公民館となり、1988年(昭和63年)に取り壊されるまで存在した[4]。
歴代村長
[編集]『磯部郷土史』による[5]。
代 | 村長 | 任期 |
---|---|---|
1 | 坂本蝶右衛門 | 1889年4月1日 - ?? |
2 | 谷吉之助 | |
3 | 橋本清六 | |
4 | 西村源之助 | |
5 | 谷崎鹿之助 | |
6 | 西村源之助 | |
7 | 坂本楠蔵 | |
8 | 坂本庄太郎 | |
9 | 大崎千之丞 | |
10 | 坂本楠蔵 | |
11 | 職務管掌 | |
12 | 西岡敏助 | |
13 | 松本喜十郎 | |
14 | 坂井辰之助 | |
15 | 前田林蔵 | |
16 | 北山為之助 | |
17 | 大形良美 | |
18 | 谷崎幸夫 | ?? - 1955年2月10日 |
交通
[編集]鉄道路線
[編集]船舶
[編集]道路
[編集]名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]脚注
[編集]- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、107頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』221頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年12月30日閲覧。
- ^ 磯部郷土誌刊行会 編 (1963):191, 195ページ
- ^ 三重県磯部町 (2004):27ページ
- ^ 磯部郷土誌刊行会 編 (1963):191 - 192ページ
参考文献
[編集]- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 磯部郷土史刊行会 編『磯部郷土史』磯部郷土史刊行会、昭和38年5月10日、506p.
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 24三重県』角川書店、昭和58年6月8日、1643pp.
- 三重県磯部町『磯部町50年のあゆみ 町制施行50周年記念誌』三重県磯部町、2004年、38p.