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磯の松島事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

磯の松島事件(いそのまつしまじけん)とは、朝鮮民主主義人民共和国によるスパイ事件[1][2][3]1980年昭和55年)6月12日兵庫県警察摘発(検挙[1][2][3]。同日、在日朝鮮人李基吾黄博兵庫県香住海岸(磯の松島海岸)で北朝鮮からの工作船を待っていたところを逮捕し、彼らの所持していたモールス符号メモや日本海沿岸のパノラマ写真等を押収した[2][3][4][注釈 1]

概要

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兵庫県に生まれた在日朝鮮人の須藤博こと黄博は、北朝鮮工作員獲得され、約2年間にわたって、南北朝鮮統一問題、韓国政府批判、主体思想朝鮮語などの教育を受けたのち、北朝鮮で工作員教育を受けるため、1980年6月12日、工作員李基吾の案内で兵庫県美方郡香美町の磯の松島海岸から北朝鮮に向け不法出国しようとしていた[2][3][4]

一方の岩本清こと李基吾は、広島県に生まれ育った在日朝鮮人で、和光大学経済学部に在学中に北朝鮮工作員に獲得され、主体思想、暗号通要領などのスパイ訓練を受け、北朝鮮からの暗号通信を受信しながら、

  • 日本海沿岸の潜入・脱出地点の調査
  • 工作員対象者の脱出案内

などの任務に従事していた[2][3][4]

1980年6月12日、兵庫県警察は磯の松島海岸で北朝鮮工作船を待っていた工作員李基吾と黄博を逮捕し、モールス符号メモや日本海沿岸を撮影したパノラマ写真など諜報活動を裏づける証拠資料を押収した[2][3][4]

1981年(昭和56年)1月29日神戸地方裁判所は李基吾と黄博の両名に対し、それぞれ出入国管理令違反の罪で懲役6月、執行猶予3年の判決を下した[2][3][注釈 2]

脚注

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注釈

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  1. ^ 兵庫県の日本海沿岸では、1959年(昭和34年)7月から1980年(昭和55年)6月までの21年間で北朝鮮工作員の密出入国や工作船と思われる不審船事案が、明らかにされているだけでも16件におよび、新聞は、日本海沿岸に「白い高速艇」「日本海特急」と称される北朝鮮の高速工作船が出現したのが1968年(昭和43年)春以降であると報じている[5]。この周囲では、1970年(昭和45年)4月14日、無灯火で移動する不審船を海上保安庁巡視船が発見し、追跡したものの船内からの自動小銃連射を浴び、逃走された「不審船発砲事件[6][7][8]、1974年9月19日に、日本から不法出国しようとした北朝鮮工作員と北朝鮮から派遣されて不法入国した案内役の朝鮮人を逮捕した「切浜事件」が起こっている[9][10][11]。なお、在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)の幹部だった韓光煕によれば、韓自身がつくった北朝鮮工作員の着岸ポイントは全国に38か所あり、そのうち、香住海岸にもポイントが設営されていた[12]
  2. ^ 日本の国内法では、日本国・日本国民にとって有害な工作活動をしている人間・組織であっても工作員であるという理由だけで逮捕できる根拠法を欠いているのが実情である[13]

出典

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参考文献 

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  • 荒木和博『拉致 異常な国家の本質』勉誠出版、2005年2月。ISBN 4-585-05322-0 
  • 清水惇『北朝鮮情報機関の全貌―独裁政権を支える巨大組織の実態』光人社、2004年5月。ISBN 4-76-981196-9 
  • 高世仁『拉致 北朝鮮の国家犯罪』講談社〈講談社文庫〉、2002年9月(原著1999年)。ISBN 4-06-273552-0 
  • 諜報事件研究会『戦後のスパイ事件』東京法令出版、1990年1月。 
  • 韓光煕『わが朝鮮総連の罪と罰』文藝春秋文春文庫〉、2005年5月(原著2002年)。ISBN 4-06-205405-1 

関連文献

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  • 外事事件研究会『戦後の外事事件―スパイ・拉致・不正輸出』東京法令出版、2007年10月。ISBN 978-4809011474 

関連項目

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