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石本巳四雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石本 巳四雄
生誕 1893年9月17日
日本の旗 日本東京
死没 (1940-02-04) 1940年2月4日(46歳没)
日本の旗 日本東京
居住 日本の旗 日本
研究分野 地震学音響工学
研究機関 東京帝国大学、地震研究所
出身校 東京帝国大学
主な業績 シリカ傾斜計や加速度地震計の発明
主な受賞歴 帝国学士院賞1933年)、コマンドール・オランジュ・ナッソー勲章オランダ語版1934年[1]、グラン・オフィシェ・クーロンヌ勲章(1938年[1]
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石本 巳四雄(いしもと みしお、1893年明治26年)9月17日 - 1940年昭和15年)2月4日)は、日本地震学者シリカ傾斜計加速度地震計を発明したことで知られる。

シリカ傾斜計 個体摩擦が極めて低く、空気の対流も感知してしまうため、観測時にはガラスで覆って使用する。

経歴

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石本新六陸軍中将の四男として東京小石川で生れる。巳年生まれの四男であったことから巳四雄と命名された。東京高等師範学校付属中学校第一高等学校を経て、1917年(大正6年)東京帝国大学理科大学実験物理学科を卒業した。同工科大学造船学科に勤務、1919年(大正8年)三菱造船研究所勤務の後、1921年(大正10年)から1924年(大正13年)までフランス留学ポール・ランジュバンの指導を受ける。

帰国後の1925年(大正14年)11月東京帝国大学助教授地震研究所)に赴任、土地の傾斜をはかるシリカ傾斜計[注 1]加速度地震計などを考案し地震の原因としてマグマ貫入説岩漿貫入地震説)をとなえた。1928年(昭和3年)東京帝国大学教授、1933年(昭和8年)地震研究所第2代所長となる。同年、地震計測についての研究が評価され帝国学士院賞を受賞した。石本による地震計測機器の発明は日本の地震工学の発展に貢献し[3]、1948年(昭和23年)に中央気象台の地震観測所(現・気象庁松代地震観測所)でシリカ傾斜計による観測が開始され[4]、加速度地震計は発明から約80年後においても石本式加速度計として使用されている[5]。1936年(昭和11年)に高等官二等に昇叙され[1]、1939年(昭和14年)には飯田汲事と共同で、「ある観測点で記録された地震動の最大振幅と出現頻度との関係についての式」(石本-飯田の式)を発表した[6]。同年5月病気のため本人の願により所長を免ぜられ、翌1940年(昭和15年)2月4日に脳溢血の再発により死去した。死後の翌5日、高等官一等昇叙並びに正四位勲三等瑞宝章が授けられた[1]

地震以外の研究としては音響工学の研究も併存的に行っていた。1936年(昭和11年)に日本音響学会の発足を共同で呼びかけ、同初代会長に選任されている[7]

人物

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  • 趣味音楽絵画謡曲俳諧水泳と多趣味であったが、思索することが好きというより本能といってよいほど年中考えていたと夫人の石本美砂保は『学人学語』の巻末記で述べている。
  • 石本と水泳の関わりは自らが少年時代に選手をしていたり、明治神宮水泳場建設委員、東京小学校水泳連盟会長や東京帝国大学水上競技部部長を務め、また古式泳法の演武にも力を入れるなど深いものがあり、日本水泳界の基盤作りに手腕を発揮した人物でもあった[1]
  • 地震研究所所長時代には、災害や温泉などを著したかわら版鯰絵を収集していた。石本の死後、これらは遺族により研究遺品として地震研究所と東京大学総合図書館に寄贈され、『石本コレクション』(地震火災版画張交帖)としてホームページに公開されている[3]
  • 研究者の心構えとして、欧米の研究に目を配るのは当然ではあるが、それのみを唯一の方向性であると考え楽な道を追従するのは実に嘆かわしく、参考とするのはよいが追従してはならないと戒めている[8]

親族

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主な著書

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  • 地震現象より見たる地殻変動(1931年、岩波書店
  • 振動実験及測定法(1933年、共立出版、実験工学講座十二巻の中)
  • 地震と其の研究(1935年、古今書院
  • 地震学より見たる日本の文化(1939年、数學局<教學叢書>、特輯11)
  • 科学への道(1939年、柁谷書院
  • 学人学語(1940年、柁谷書院)
  • 石本巳四雄教授記念論文集(1942年、故石本巳四雄教授記念論文集出版会)

共著

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主要論文

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脚注

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注釈

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  1. ^ 感度は極めて精巧で、1km離れた点が1mm上下動しても記録するほどである[2]

出典

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  1. ^ a b c d e 水泳 第72号 故石本巳四雄追悼號』(PDF)日本水上競技連盟、1940年4月。全国書誌番号:00012596http://www.swim.or.jp/magazine/download/72.pdf 
  2. ^ 倉本為一郎『昭和地震誌』南輪内村震災記念曾、1949年、116-143頁。 
  3. ^ a b 北原糸子歴史の中の災害に見る教訓:地震学者が集めたかわら版・鯰絵-石本コレクション-」(PDF)『広報消防基金』第168号、消防団員等公務災害補償等共済基金、2008年7月、13-20頁、全国書誌番号:01009609 
  4. ^ 沿革”. 気象庁 精密地震観測室. 2013年12月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月30日閲覧。
  5. ^ “80年前の地震計、「M9.0」捉えていた 東大地震研”. 朝日新聞. (2011年5月23日). http://www.asahi.com/special/10005/TKY201105230183.html 2013年12月11日閲覧。 
  6. ^ 山下文男「[報告]〔略年表〕「15年戦争」と日本地震学辛酸の軌跡」『歴史地震研究会』第24号、2009年、193-199頁。 
  7. ^ 山崎芳男「会長就任にあたって-多様性を支えるコミュニケーション」『日本音響学会誌』第59巻第7号、日本音響学会、2003年、357頁。 
  8. ^ 科学を志す人々へ、44-45頁。

参考文献

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石本巳四雄『科学を志す人々へ』講談社、1984年。ISBN 4061586378 

外部リンク

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