石川能忠
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石川 能忠(いしかわ よしただ、生没年不詳)は、鎌倉時代の武士。駿河国重須郷の領主。父は石川宗忠。子は石川実忠。初名は孫三郎。俗名は石川妙源。別名は源能忠。
駿河国重須郷(現在の静岡県富士見市北山)の地頭である石川宗忠の子として生まれる。1293年(永仁元年)に日興の申し出により重須の坊地を寄進し北山本門寺を創建する。また石川家は日興と血縁関係者であった[1]。
1343年(興国4年)に息子の石川実忠が日興の弟子である日代と対立し、日代は北山本門寺とは別に西山本門寺を創建した[2]。
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