西山本門寺
西山本門寺 | |
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境内 | |
所在地 | 静岡県富士宮市西山671 |
位置 | 北緯35度14分14.1秒 東経138度33分51.5秒 / 北緯35.237250度 東経138.564306度 |
山号 | 富士山 |
宗派 | 法華宗興門流 |
寺格 | 本山 |
本尊 | 十界曼荼羅 |
創建年 | 1344年(康永3年) |
開山 | 日代 |
開基 | 大内安清 |
正式名 | 富士山本門寺 |
文化財 | 紺紙金字法華経、法華経 8巻、法華證明鈔、日蓮遷化記録(重要文化財)ほか |
法人番号 | 3080105003499 |
西山本門寺(にしやまほんもんじ)は、静岡県富士宮市西山にある寺院で法華宗興門流の大本山。日興の法脈を継承し、勝劣派・富士門流に属する。上条大石寺・重須本門寺・下条妙蓮寺・小泉久遠寺とともに同門流の「富士五山」を構成し、さらに京都要法寺・伊豆実成寺・保田妙本寺とあわせて「興門八本山」の1つにも数えられる。
境内は全体で360町歩の広さがあり、黒門から本堂裏手の墓地まで直線で2kmの敷地がある。織田信長の遺体もこの地にあるという説もある。
歴史
[編集]近世まで
[編集]日興の弟子日代は、師が没すると重須本門寺を相承した。その後、重須の地頭石川実忠や信徒らと対立し、子弟を連れて重須本門寺を離山した。1344年(康永3年)西山の地頭大内安清から寺地の寄進を受け、西山本門寺を建立した[1]。
18世日順は、京都上行院を通じて後水尾天皇の皇女常子内親王の帰依を受けた。常子内親王は、1678年(延宝6年)後水尾天皇の位牌を当寺に納め、1683年(天和3年)には書写した法華経を両親の菩提のために納めた。常子内親王の夫近衛基熙が関白になった際、書写した祈祷経を納め、西山本門寺を祈祷所と定めた。
寺伝によると、日順の父である原宗安(原志摩守)は、本因坊日海(本因坊算砂)の指示により、織田信長の首を西山本門寺まで持ち帰り、柊を植え首塚に葬ったという。信長の首塚の傍に植樹された柊は推定樹齢450~500年とされ、年代的にも符合している[2]。20世日圓は、水戸徳川家の出身により、徳川光圀の寄進を受けて伽藍を整えた。
近代以降
[編集]- 1876年(明治9年)末寺12箇寺とともに、富士門流の統一教団日蓮宗興門派の結成に参加。
- 1899年(明治32年)日蓮宗興門派は日蓮本門宗(本門宗)と改称。
- 1941年(昭和16年)本門宗は一致派の日蓮宗、勝劣派の顕本法華宗とともに三派合同を行い日蓮宗を結成。49世・由比日光が宗派の代表として合同手続きを執行。
- 1957年(昭和32年)西山本門寺、塔頭、末寺は日蓮宗を離脱(末寺の一部は日蓮宗に残留)し単立となった。その後、由比日光の主導で、西山本門寺は塔頭、末寺、檀家総代の了解を得ないまま日蓮正宗に合流した。反対派による「合流」措置無効の確認をもとめる訴訟おこる。
- 1960年(昭和35年)由比日光の遷化。由比日光の後継指名により、日蓮正宗は吉田日勇(下条妙蓮寺)を兼任住職として任命。
- 1975年(昭和50年)裁判は最高裁まで争われたのち、檀家側の勝訴。吉田日勇は本寺より退去し、旧門末の福正寺の森本日正が正式に後任住職として着任。
- 現住は52世・森本日重(福正寺より晋山)。
西山本門寺の歴代貫主
[編集]歴代貫首は次表の通り[3]。
代 | 日号 | 阿闍梨号・院号 | 在位 | 御遷化年月日 | 享年 | 備考 |
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宗祖 | 日蓮 | 1282年(弘安5年)10月13日 | 61歳 | |||
2祖 | 日興 | 白蓮阿闍梨[注釈 1] | 1333年(正慶2年)2月7日 | 88歳 | ||
3祖 | 日代 | 蔵人阿闍梨、伊予房 | 1394年(応永元年)4月18日[注釈 1] | 1394年(応永元年)4月18日 | 98歳 | |
4世 | 日任 | 由比阿闍梨 | 1427年(応永34年)4月25日[注釈 1] | 1427年(応永34年)4月25日 | 76歳 | |
5世 | 日盛 | 1442年(嘉吉2年)3月5日 | ||||
6世 | 日琳 | 1451年(宝徳3年)3月17日 | ||||
7世 | 日顕 | 1457年(長禄元年)8月16日 | ||||
8世 | 日眼 | 1486年(文明18年)4月8日 | ||||
9世 | 日出 | 1491年(延徳3年)5月4日 | ||||
10世 | 日典 | 1499年(明応8年)8月25日 | ||||
11世 | 日心 | 1557年(弘治3年)7月5日 | 60歳 | |||
12世 | 日建 | 大珠院[注釈 1] | 1577年(天正5年)7月14日 | |||
13世 | 日春 | 妙円坊 | 1611年(慶長16年)8月20日 | |||
14世 | 日悟 | 1641年(寛永18年)10月18日 | 駿河・善能寺開山 | |||
15世 | 日胤 | 1624年(寛永元年)3月23日 | ||||
16世 | 日映 | 1652年(慶安5年)6月9日 | ||||
17世 | 日隆 | 1674年(延宝2年)9月25日 | ||||
18世 | 日順 | 法性阿闍梨 | 1688年(元禄元年)10月20日 | 87歳 | 河内・上行院開山 | |
19世 | 日教 | 1677年(延宝5年)3月19日 | 48歳 | |||
20世 | 日円 | 1693年(元禄6年)5月12日 | 46歳 | |||
21世 | 日意 | 1712年(正徳2年)11月15日 | 63歳 | 下総・福正寺開山
摂津・壽光寺開山 | ||
22世 | 日通 | 1714年(正徳4年)8月19日 | 66歳 | |||
23世 | 日観 | 1726年(享保11年)8月12日 | 46歳 | |||
24世 | 日命 | 1718年(享保3年)10月10日 | 52歳 | 摂津・壽光寺4代 | ||
25世 | 日泉 | 1760年(宝暦10年)8月15日 | 61歳 | |||
26世 | 日感 | 1744年(延享元年)12月23日 | 46歳 | |||
27世 | 日中 | 1749年(寛延2年)6月29日 | 46歳 | |||
28世 | 日長 | 1752年(宝暦2年)8月12日 | 43歳 | 下総・福正寺7代 | ||
29世 | 日悦 | 1757年(宝暦7年)7月17日 | ||||
30世 | 日実 | 1789年(寛政元年)7月11日 | ||||
31世 | 日令 | 1779年(安永8年)5月4日 | 54歳 | 下総・福正寺9代 | ||
32世 | 日言 | 1781年(天明元年)7月22日 | 56歳 | 河内・上行院10代 | ||
33世 | 日静 | 1789年(寛政元年)6月22日 | 52歳 | |||
34世 | 日啓 | 1795年(寛政7年)11月13日 | 53歳 | 摂津・壽光寺10代 | ||
35世 | 日元 | 1814年(文化11年)5月1日 | 河内・上行院12代 | |||
36世 | 日祥 | 本妙院 | 1834年(天保5年)2月30日 | 54歳 | 細草83世 | |
37世 | 日帝 | 1866年(慶應2年)3月21日 | 66歳 | |||
38世 | 日忍 | 1858年(安政5年)7月24日 | 57歳 | 下総・福正寺17代 | ||
39世 | 日顓 | 1871年(明治4年)5月11日 | 56歳 | 下総・福正寺18代 | ||
40世 | 日晥 | 堅樹院 | 1880年(明治13年)9月1日 | 59歳 | 由井氏
細草90世 駿河・代信寺15代 摂津・壽光寺20代 | |
41世 | 日顗 | 最勝院 | 1908年(明治41年)1月16日 | 81歳 | 壽氏
下総・福正寺20代 | |
42世 | 日恩 | 法性阿闍梨、龍恩坊 | 1893年(明治26年)3月25日 | 高橋氏
下総・福正寺22代 | ||
43世 | 日昶 | 円実坊 | 1893年(明治26年)12月7日 | 45歳 | 由井氏 | |
44世 | 日顗 | 最勝院 | 1908年(明治41年)1月16日 | 81歳 | 41世再任 | |
45世 | 日源 | 1920年(大正9年)2月19日 | 72歳 | 森田氏
下総・福正寺23代 | ||
46世 | 日明 | 大弐阿闍梨、賢寿坊 | 1923年(大正12年)9月28日 | 75歳 | 吉山氏 | |
47世 | 日相 | 三島阿闍梨、珖寿坊 | 1925年(大正14年)6月21日 | 72歳 | 寿氏
下総・福正寺25代 駿河・安立寺13代 | |
48世 | 日省 | 一如阿闍梨、誠諦坊 | 1954年(昭和29年)3月23日 | 87歳 | 石井智明[注釈 2]伊豆・上行院28代 | |
49世 | 日光 | 信受坊 | 1960年(昭和35年)年4月23日[注釈 1] | 1965年(昭和40年)4月23日 | 76歳 | 由比氏
下総・福正寺26代 駿河・代立寺18代 |
(除歴) | 日勇 | 常健院 | 1960年(昭和35年)- 1975年(昭和50年) | 2014年(平成26年)6月16日 | 92歳 | 下条妙蓮寺45代、元・日蓮正宗重役
吉田義誠 |
50世 | 日正 | 恵光坊 | 1975年(昭和50年)- 1995年(平成7年) | 1995年(平成7年)9月21日 | 85歳 | 下総・福正寺28代
末寺福正寺(千葉県)より晋山。 森本正明 |
51世 | 日敬 | 恵妙坊 | 1995年(平成7年)- 2012年(平成24年) | 2012年(平成24年)2月27日 | 96歳 | 末寺光栄寺(静岡県)より晋山。
村田政明 |
52世 | 日重 | 2012年(平成24年)- | 下総・福正寺29代
末寺福正寺(千葉県)より晋山。 森本重光 |
西山本門寺の末寺
[編集]本山とともに単立の末寺として
- 福正寺(千葉県千葉市中央区)
- 光栄寺(静岡県伊東市)
- 代世寺(静岡県富士宮市)
- 本妙寺(静岡県富士宮市)
- 妙円坊(静岡県富士宮市)本山塔頭
- 浄圓坊(静岡県富士宮市)本山塔頭
- 大詮坊(静岡県富士宮市)本山塔頭
- 長谷山弘宣寺(栃木県鹿沼市上久我1663)50世日正猊下より。
等がある。本山が日蓮宗から独立し、日蓮正宗に移籍する時、追随せず日蓮宗に留まった末寺は12箇寺ある(詳細は興統法縁会を参照)。
境内
[編集]- 本堂
- 尊霊殿
- 大庫裡
- 納屋
- 御宝蔵
- 黒門
- 日映堂
- 三師塔(日蓮・日興・日代)
- 浄圓坊(じょうえんぼう)
- 大詮坊(だいせんぼう)
- 妙圓坊(みょうえんぼう)
- 鐘楼 1644年(嘉永21年)築
- 正八幡宮
- 信長公首塚
年中行事
[編集]- 1月1日 午前0時 元旦祝祷会
- 4月18日 正午 お虫払い法要
- 11月第2日曜日 信長公黄葉まつり
- 11月23日 午後1時 お会式
- 12月31日 午後11時40分 越年会、除夜梵鐘つき
文化財
[編集]重要文化財(国指定)
[編集]- 紺紙金字法華経(開結共)10巻
- 法華経 8巻 常子内親王筆
- 法華證明鈔 日蓮筆
- 日蓮遷化記録 日興筆 弘安5年(1282年)
静岡県指定有形文化財
[編集]- 西山本門寺本堂厨子
静岡県指定天然記念物
[編集]- 西山本門寺の大ヒイラギ
富士宮市指定天然記念物
[編集]- 西山本門寺のシダレマキ
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ a b c d e (日蓮宗寺院大鑑編集委員会 1981)に記載なし。
- ^ (日蓮宗寺院大鑑編集委員会 1981)に名の記載なし。
出典
[編集]- ^ 大内安清寄進状
- ^ 山川志典「地域の伝承に関連する文化遺産保護の新展開-研究動向と富士山麓での展望-」『環境考古学と富士山』4号、2020年
- ^ 日蓮宗寺院大鑑編集委員会 1981, pp. 1142–1143-ただし、49世までの一部(別途明記)と除歴以降を除く。
参考文献
[編集]- 日蓮宗寺院大鑑編集委員会 編『日蓮宗寺院大鑑』(初版)大本山池上本門寺、1981年1月1日。ASIN B000J80LMK。 NCID BN01669639。OCLC 33874438。