真羽闘力
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生年月日 | 1977年8月21日(47歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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出身地 | ヌクアロファ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大学 | 大東文化大学 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ラグビーユニオンでの経歴 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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真羽闘力(まう とうりき、1977年8月21日 - )は、トンガ出身の元ラグビー選手。
プロフィール
[編集]- ヌクアロファ出身。
- ポジションはナンバーエイト(No8)、フランカー(FL)。
- 日本代表キャップは6。(2015年8月現在)
- トンガ名はフェレティリキ・マウ(Feletiliki Mau)。
経歴
[編集]大東文化大学にラグビー留学し、代表キャップ3を獲得。
卒業後、リコーに入社。
2006年9月30日の三洋電機戦で、審判員に対し暴言を吐き1試合出場停止処分となった。
2012年4月福岡サニックスへ移籍し、1シーズンプレーした。9月に左肘を負傷し、2013年に福岡市内の整形外科病院で靱帯の再建手術を受ける[1]。
2015年現在、六甲ファイティングブルに所属する。[要出典]
2016年、2013年の左肘靭帯再建手術の失敗が原因で、ラグビー選手の引退を余儀なくされたとして、手術を行った病院を相手取り損害賠償の訴訟を起こす[1]。病院側が約6千万円の和解金を支払う内容で和解した
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “ラグビー元日本代表の男性、「手術失敗で引退」と病院提訴”. スポニチアネックス. (2016年6月30日) 2016年6月30日閲覧。