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井沢義明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

井沢 義明(井澤 義明[1]、いざわ よしあき、1947年5月27日 - 2014年7月1日)は、北海道出身の元ラグビー選手。

来歴

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函館北高校2年のときに、野球から転向する形でラグビーを始めた。当初はウィング(WTB)のポジションだったが、早稲田大学2年の時にフランカー(FL)(FL・6番)に転向し、レギュラーの座を掴んだ。そして3年時となる1968年日本代表に選出され、さらに当時の監督・大西鐡之祐は、同年6月3日にニュージーランドウェリントンで行われたオールブラックス・ジュニア戦に、ノンキャップだった井沢をいきなりスタメン起用した。結果は、23-19で日本が歴史的勝利を飾ったが、唯一の学生選手が井沢であった。

その後、1969年度の早大主将を務めた後、リコーへと進み、『和製オールブラックス』と称された同チーム黄金時代の一翼を担った。日本代表通算獲得キャップ数は24。

脚注

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  1. ^ 歴代函館出身ジャパンリスト”. 函館市ラグビーフットボール協会. 2024年1月9日閲覧。

関連項目

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参考文献

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