白羽村
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しろわむら 白羽村 | |
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廃止日 | 1955年(昭和30年)3月1日 |
廃止理由 |
新設合併 白羽村、御前崎村 → 御前崎町 |
現在の自治体 | 御前崎市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 静岡県 |
郡 | 榛原郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
4,521人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 御前崎村、地頭方村、小笠郡佐倉村 |
白羽村役場 | |
所在地 | 静岡県榛原郡白羽村 |
座標 | 北緯34度36分39秒 東経138度12分19秒 / 北緯34.61078度 東経138.20533度座標: 北緯34度36分39秒 東経138度12分19秒 / 北緯34.61078度 東経138.20533度 |
大井川流域の町村制施行時の町村。42が白羽村。(41.御前崎村) | |
ウィキプロジェクト |
白羽村(しろわむら)は、静岡県中部、榛原郡の南端にあった村である。現在の御前崎市の東部、御前崎の付け根にあたる。
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、白羽村が単独村制して白羽村発足。
- 1955年(昭和30年)3月31日 - 御前崎村と合併して御前崎町となる。
- 2004年(平成16年)4月1日 - 御前崎町が浜岡町と合併して御前崎市となる。
地理
[編集]地域名
[編集]村の下に大字はない。
産業
[編集]農業中心の村だったが、ほとんどが台地で水利が悪く、土は砂壌土でやせているため、水田はほとんどなく、たまねぎ、さつまいも、だいこん、すいかなどの蔬菜園芸が中心だった。なお、1824年(旧暦文政7年)に白羽村の栗林庄蔵が[1]、さつまいもの新たな加工法として「煮切り干し法」を考案し[2]、「切り干し芋」の原型を生み出したことから[2]、切り干し芋の発祥の地として知られている[1]。のちに茨城県にこの切り干し芋の製法が伝わり、茨城県の郷土料理「干し芋」となった[2]。
20世紀になって、御前崎村での遠洋漁業が盛んになると、それに従事する人が増加、50年代から60年代にかけては、村で農業をするのは女と年寄りだけといわれ、丈夫な男子の大半が漁師になった。
戦後、御前埼燈臺と新鮮な魚を売り物にした観光産業が盛んになり、また、メロンや、かすみ草など花卉を栽培する温室園芸も興こったが、現在は漁業も観光も不振で、人口の高齢化が進んでいる。
脚注
[編集]- ^ a b UMICO編集部「伝説のヒーロー、ふたりの『いもじいさん』の活躍を知っていますか?」『伝説のヒーロー、ふたりの「いもじいさん」の活躍を知っていますか? | UMICO-ウミコ-』UMICO、2018年10月。
- ^ a b c 「歴史・由来・関連行事」『干しいも 茨城県 | うちの郷土料理:農林水産省』農林水産省。