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登記欣也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
登記 欣也
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛媛県宇和島市
生年月日 (1952-02-12) 1952年2月12日(72歳)
身長
体重
172 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1978年 ドラフト1位
初出場 1979年6月12日
最終出場 1979年6月12日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

登記 欣也(とうき きんや、1952年2月12日 - )は、愛媛県宇和島市出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

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愛媛・帝京五高では、エースとして1968年秋季四国大会決勝に進出するが、徳島商業高松村憲章らに抑えられ完封負け、準優勝にとどまる。1969年春の選抜に出場。1回戦で釧路一高に完封負けを喫した[1]

高校卒業後は、社会人野球神戸製鋼に入社。1973年のプロ野球ドラフト会議太平洋クラブライオンズから7位指名を受けたが入団を拒否した。

1976年日本選手権では1回戦で新日本製鐵室蘭を完封、2回戦で東京ガス松沼博久と投げ合うが、延長14回サヨナラ負け。

1977年都市対抗野球に出場、増岡義教三菱重工神戸から補強)との二本柱で勝ち進む。準決勝で日本鉱業佐賀関に完封勝利、決勝は増岡が熊谷組を完封しチームは初優勝を飾る[2]。同年の第3回インターコンチネンタルカップ日本代表となった。同年の日本選手権では3勝をあげチームの準決勝進出に貢献。

1978年都市対抗野球では、1回戦第1試合で大昭和製紙北海道に0-1で惜敗[2]。同年の第25回アマチュア野球世界選手権日本代表にも選出された。同年の日本選手権では、準々決勝でまたも東京ガスの松沼博久と投げ合うが0-1で惜敗。

1978年のプロ野球ドラフト会議近鉄バファローズから1位指名を受け、27歳でプロ入りした[3]

1981年には二軍で最優秀防御率のタイトルを獲得しているが、一軍登板はルーキーイヤーの1979年の1試合のみにとどまり、1982年オフに現役引退。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1979 近鉄 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 7 1.0 4 1 0 0 0 1 0 0 3 3 27.00 4.00
通算:1年 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 7 1.0 4 1 0 0 0 1 0 0 3 3 27.00 4.00

記録

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背番号

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  • 13 (1979年 - 1980年)
  • 32 (1981年 - 1982年)

脚注

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  1. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  2. ^ a b 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
  3. ^ [1]

関連項目

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外部リンク

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